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2020/01/11(土)22:55

クルマのある生活をやめました

クルマ(30)

日本ではクルマが売れなくなって久しかった。 クルマの機能は成熟し、不便、不都合、不満のあるモデルは少なくなった。 特にベーシックなモデルの成熟は進み、 人間の側がクルマに求める要求性能を、すでに十分クリアしていた。 坂を登らないことはない。 高速道路でスピードがでないこともない。 乗り心地が悪いこともない。 車室内が狭いこともない。 ブレーキが弱いこともない。 不格好もない。 もっと良いモデルは金を出せばあろうけども、 自分の使い方ならば、ベーシックなモデルで、 別に、もう、これでいいか、 と思える技術レベルになっていた。 むしろ燃費も取り回しもよいし。 さらに気づいたことがあった。 モデルラインナップのなかの違い、差別化の余地は小さくなり、 もはやモデル間の差はイメージのレベルでしかなかった。 四駆ならオフロードや雪道で頼もしいイメージ。 でも実は、それってほぼ、イメージなんだよね。 自動車製造会社側の広告宣伝を真に受けた私が持った、イメージと。 FFでもタイヤを選べばキチンと雪道は走る。 四駆は安楽安全に走る? FFではスタックする、四駆でなければ走れない雪道やオフロードを走るの? 走ることがある、にしても、 その走行は必須なのか。 安楽に走りたいのはなにのためか。 四駆がFFに比べて安楽安全なのは、同じ速度のなかでの比較。 FFでも速度を落とせば十分に安楽安全になる。 速度を落とせない私のクルマの使い方、時間に余裕のなさに、まず、改善の余地はないのか。 そう考えるようになりました。 さらに考えました。 危険なシチュエーションでクルマに 「乗らない」「延期する」 を選択できる生活にスイッチすればいいと。 したくない、できないのはなぜだろうか、と。 クルマは楽。便利。 座って、ペダルとハンドル操作すれば、 熱くも寒くも辛くもなく、移動できる。 でも、それって。 安楽で趣味性があって、 移動は本能的に中毒性があって、 楽しい。 でも、必須ではないよな。 クルマが走ることで、自然破壊と温暖化がすすむ地球に、ネガティブな影響を与えることは知っている。 それと、エゴな楽しさと、 天秤にかけて、選ぼうじゃん。 人間は、考えられる脳と、知識がある。 私達は考え、改善し続けなければならない。 私は長い間そう思っている。 私は、移動手段としてのクルマに乗ることをやめました。 趣味としてのクルマはもちろん、生活用移動手段としてのクルマを、やめて、移動は自転車にスイッチしたのです。 晴れの日に、シンプルな自転車を漕いで、10数km先のスーパーに買い物に行く。 自転車は、最大買い物カート一台分、籠2個ぶんの荷物を運ぶことができる。 雨、雪の日は買い物を諦め、家で本を読む。 梅雨時期でも、冷凍冷蔵庫があれば、食うものに困らない。 冬の晴れの日、暖かい日差しの中を、荷物満載の自転車で走りながら。 いろんなことが感じられるようになった。 遠くの鳥の声、 焚き火の匂い、 浅い川辺の水鳥たちの戯れ、 大根畑の乾いた葉擦れの音、 散歩犬の嬉しい尻尾、 さかみちを登って息が上がる老いの片鱗。 いいなあ。 すごく、いいなあ。 クルマを降りたら、地球環境にやさしい、は、オマケ。 なんと贅沢な気分を私は手に入れたのだろう。

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