2007/05/01(火)20:09
【10】 意識不明、自宅から病院へ <1996年4月23日>
★★妹まいこ(ロンドン側)の視点★★
私が車を家の前まで持ってきて、友達がぐったりした真紀子を抱きあげて、車の
後部座席に運んでくれた。「全身が脱力している人がこんなに重たいなんて
初めて知った」と言っていた。この友達がいてくれなければ、私一人ではどうする
こともできなかった、としみじみ思います。
友達が必死に抱きかかえて、二人で一緒に車の後部座席に押し込んで・・・。
友達が真紀子を膝枕して、いざ出発。
私達がいたところは、ロンドン市内の南側のPutneyだったけど、日本の診療所は北側の
St. John's Woodの辺りだった。南から北へ車を走らせた。電車では何度も行ったことのある
場所だったけど車で行くのは初めてで、地図をハンドルの前において、地図を見ながら
運転した。
途中、道が分からなくなって、どんどん真紀子が苦しんで、友達が「早く!早く!」と私を
せかしていた。私は必死で、でも喧嘩ごしで「真紀ちゃんのこと何とかして助けてよっ!
場所なんて分からないよ!黙ってて!」と怒っていた。もうパニック状態だった。
結局、日本の診療所に隣接しているもうひとつの現地の病院の裏に着いて、私が病院の
裏口から飛び込み、「日本の診療所はどこですか!?」と大声で叫び、友達が車から、
また真紀子を抱きかかえて・・・。その頃は病院のスタッフも異変に気がついて、車椅子を
用意してくれた。抱きかかえた友達の腕から、車椅子に乗せて、言われるままに病院内に。
真紀子は確か血液検査とかしたのだと思う。私はここで一旦真紀子と別れた。
そして、友達は「一緒にいようか?」と言ってくれたけど、「Mさんが来てくれるって
いうから大丈夫。家に帰って休んで。後で電話するから」と言って、帰ってもらった。
もしかしたら、Mさんにはここで電話をしたのかもしれない。よく覚えてない。
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