2007/05/04(金)13:30
【13】 劇症肝炎と確定・別病院へ搬送 <1996年4月23日>
★★妹まいこ(ロンドン側)視点★★
日本ではイギリスの病院から連絡を受けて、初めは「脳髄膜炎」かもしれないと
言われたらしい。
英国側ではそのすぐ後に「肝臓の値が悪い」ということが分かって、隣の病院から肝臓の
専門医が来て診察をした。最終的に肝臓が悪いことが確定した為に、「King’s College
Hospitalに移動する」と伝えたようだ。
母は、私の電話を受けて、日本時間の翌朝早朝にイギリスに向け出発。
緊急のことだったので、Mさんが全ての飛行機の予約をしてくれたらしい。母も成田に
着くまでどの飛行機に乗るのかも分からず、真紀子の病院の移動は成田で航空会社の
職員経由で聞いたらしい。
一方私は病院で、「搬送します」と言われて。どこに?どうやって?と思った。
「救急車で行きますが、一緒に行きますか?」と言われた。当たり前だけどついていった。
初めて救急車の運転席の隣に座った。これが夜。時間は不明だけど、真っ暗だった。
そして救急車に乗る前に、Mさんに電話して「場所を移動します」と伝えたのだと思う。
Mさんは支度をしていた途中で、「搬送先に行きます」と言っていたような。。。
大変お世話になったMさんだけど、必死だったせいか記憶が曖昧です。
救急車はサイレンを鳴らして、夜道をひた走り。夜のロンドンの街はいつもと変わらないのに、
いつもよりも暗く感じて、そして自分の乗っている車が他の車を止めて走っているのが
不思議だった。道は渋滞もなく、すんなりその病院に到着した。
病院に着いて、真っ暗な廊下を歩いて、真っ直ぐに集中治療室に。真紀子が部屋に
消えていった。真紀子が消えて、しばらくして先生に呼ばれた。
「大変に危険な状態です」って。
肝臓の図を描いてくれて「これが通常の肝臓ですね。でもお姉さんのものはこんな風に
ねじれていて・・・」と肝臓が変形している図を見せてくれた。
本当に肝臓がねじれていて、肝臓の下半分が上の方に折れ曲がっているような感じだったと
思う。明らかに素人目からみても変だと分かった。いわゆる「劇症肝炎」の状態だった。
「どうなるか分からないので、覚悟はしておいてください。」と言われた。いまいちピンっと
こなくて、「はあ・・・」と生半可な返事をしたっけ。
ここでちらっと移植の話が出た。「同意書にサインが必要です。ご家族の方は?」と
聞かれたから、「日本にいるけど、こっちに来る予定です。でもいつになるか分かりません」と
答えた。
「もしご家族の方が間に合わないようなら、貴方がサインをするか決めてください。
でも本来ならご両親が好ましいので、早く呼んでください」と言っていたな。
私は「はあ・・・」と言っていたけど、まだ何を話されているのか頭に入ってきてなかった。
この移植の話は、まだ母が日本にいるときに出た。母が私に、「間に合わなかったら貴女が
サインしなさい。」と言っていたのをまりこが聞いており覚えているが、私自身はあまり
そのあたりの記憶がない。
集中治療室の外には大きなソファーがあって、そこでしばらくぼ~っとしていたな・・・。
どのくらいぼ~っとしていたのか覚えていないし、時間も何時くらいだったのか分からない
けれど、しばらくしてから一緒に病院に連れてきてくれた友達に公衆電話から電話をした。
友達は寝ていたみたいだったけど、全くそんなことを気にかけられるような状態じゃなかった。
その友達と別れてから今までの話をして、説明をしているうちに「真紀ちゃんが死んじゃう
かもしれない」とこの時初めて、頭の中で先生に言われたことが理解出来てきた気がする。
友達は「大丈夫?病院に行こうか?」と言ってくれた。だけど電話をしている最中にMさんが
病院に到着した。すぐに電話を切って、Mさんに挨拶。ほっとした。
「まいちゃんも何も食べてないんでしょ?」とおにぎりを持ってきてくれた。「これを食べて
少し休みなさい」って。食べられる感じじゃなかったけど、とりあえずもらった。
「先生に話を聞いてくるから、そこで待っていてね」と言って、Mさんは先生に話をしにいった。
結構長い間話をしていた気がする。出てきた後、「まいちゃんもしっかり休んで」と言って
くれたのを覚えている。
でもその後自分が何をしたのか、病院にいたのか、どこで寝たのか・・・の記憶はない。
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