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テーマ:闘病日記(4014)
カテゴリ:脳死肝移植の経緯・妊娠出産
妊娠18週という早い段階から受診のたびにお医者様から「ほぼ確実に
男の子でしょう」と太鼓判を押されていた胎児。 母子手帳の「胎動を感じた日」の欄には「10月24日夜」と書いてある。 この日を境に、元気な胎動を感じる事が多くなってきて、嬉しさも倍増だった。 色々とあった妊娠生活もついに後期に入り、体調不良の合間をぬって家族に 手伝ってもらいながら、ゆっくりと入院準備と赤ちゃんの生活の準備を進めていった。 妊娠中期~後期にもなるとお腹も大きく蹴られるし、中でぐるぐる動いているのは 常に感じているし、、女性にしか分からない不思議な感覚を味わい、ママの意識も 段々と培われていた気がする。 そうは言っても毎夜のように足がつって目覚め、お腹を蹴られて目覚め、、の連続。 お腹が重いため上を向いては寝られず、常に横向き状態。 「出産したら一番最初に何がしたい?」と主人に聞かれたことがあるが、 そのときの私の返事は「おもいっきり背伸びをして、うつ伏せになりたい」。 彼が聞きたかったのはそういう回答ではなかったのだけど、そんな事が 第一の希望に思えるほど、体が重たくなり動きも段々と辛くなっていた日々だった。 妊娠もようやく37週に入り、あとはいつ産まれても大丈夫というところまで来た。 出産予定日は3月31日だった。私の誕生日も3月末なので、同じ日になるかな、 それとも4月にずれ込むかな、、と出産日がいつになるかもドキドキ、ワクワク。 子どもは、4月1日までの出産と2日以降の出産で学校の学年も変わるため、 何日に産まれて来るかという事にとても敏感になっていた。 妊娠39週に入った3月27日の検診の時にも出産の兆候はまだ出ていなかった。 この時に、次の検診予定を4月3日に入れた。4月3日の時点でまだ兆候が 出ていなかったら、次は出産まで入院する可能性も示唆された。 その翌日の私の誕生日も過ぎ、予定日前日になっても、特に大きな兆候もなく 過ぎていく時間。。 予定日当日になって、なんとなく前駆陣痛(不規則に腹痛がくるけれど、結局は 痛みがなくなる)らしきものも始まり、おしるしもあり、いよいよか!!と思いきや、 結局のところ変化なし。 ついに妊娠40週となった4月3日の検診日となった。子宮口も大分広がってきており、 そろそろ陣痛も始まるかもしれないというお医者様の言葉に、期待と不安が大きく 入り混じって帰宅した。ただし41週に入ってもまだ出産に至っていない場合は 確実に入院となる事を告げられ、次の診察日の予定も入れてもらった。 そしてその検診の日の夜中~翌日4日の明け方にかけて、ついに陣痛が始まった。 早朝には痛みも10分間隔ぐらいになっており、病院に電話連絡してその後の 行動について相談した。 (早すぎても入院できず、自宅に帰らなくてはいけない事もある為。) 助産師さんとの話の結果、時間がちょうど朝のラッシュ時と重なった事もあり、 自宅から病院までの車で1時間強の距離を勘案し、急いで病院に向かうこととなった。 車の中から携帯メールで「陣痛が来て、今から病院に向かいます」と主人へ連絡。 4月4日朝10時前には病院に到着していただろうか。 そのまま検査に入り、子宮口も5cmほど開いており、このままいけば今日中に 出産でしょう、と助産師さん。 自宅からの距離もある為、そのまま入院が決定し、陣痛室へと通された。 そして、私達は主人の立会い出産の希望を出していた為、自宅にいる彼にも 一緒に付き添ってきてくれた家族から入院を伝える電話をしてもらった。 いつも有難うございます♪ 「臓器提供意思表示カード」認知度向上の為にも、是非クリックをお願いします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 13, 2007 02:38:40 AM
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