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August 22, 2007
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テーマ:ニュース(100221)
カテゴリ:メディア関連
本日の産経新聞 朝刊に私と息子に関する記事が掲載されました。

新聞の中央辺りにあるページの「ゆうゆうLife ~向き合って」 です。


今日と明日が上下として2回連載され、そして明後日にはそのインタビューにも
触れながら、移植医療に関するコラムが掲載されるようです。

なお今日の記事が産経新聞HPに写真入りで掲載されました。
お時間のある方は是非ご覧になってください。

http://www.sankei.co.jp/yuyulife/sonota/200708/snt070822001.htm


産経新聞様、そして記者の佐藤様、ありがとうございました。
こうして多くの方の目に触れることにより、臓器移植に対して考えるきっかけと
なれば。。そのような機会を与えていただけたことに心から感謝いたします。


<以下、上記HPからその記事の内容を転載させていただきます。>


向きあって 脳死移植後に結婚、出産(上)

■英国で急性劇症肝炎/早期に現れたドナー/退院へ懸命リハビリ

 23歳のとき、英国で原因不明の急性劇症肝炎に倒れ、脳死肝移植で奇跡的に命をつないだ今川真紀子さん。移植から10年目の昨年、長男、駈(かける)くん(1)を出産しました。脳死移植を受けた人の出産は、国内ではまれ。今年7月には、「私の経験が、移植医療の広がりに役立てば」と、公共広告機構のコマーシャルに実名で登場しました。今川さんに移植後の生活と結婚、出産を聞きました。(聞き手 佐藤好美)


 当時、私は英国にある大学の4年生でした。父の仕事の都合で家族で渡英し、父母の帰国後も、学生だった私と妹はロンドンに残ったのです。

 秋ごろからせきや頭痛が続き、「風邪かなあ」と、薬を飲んでいました。それが4月に40度もの熱が出て。病院で「風邪でしょう」と診察されたのですが、帰宅後に体調が悪くなり…。

 でも、私が覚えているのはそのあたりまで。後の記憶はないんです。「目が見えない」と焦点が合わず、ふらふら歩く私を、妹はあわてて病院に連れて行ったそうです。

 《日本から、母親の咲田さち子さん(59)が駆けつけると、真紀子さんは黄色くむくみ、一目では本人と分からない状態。助かるとは思えなかったという。原因不明の急性劇症肝炎で、移植しか手はないと診断された。「それしか道がなければ、選ぶしかないという感じでした」と咲田さん。病院側から「移植リストのトップに載せるが、ドナーが出るかどうかは分からない」と言われたが、翌朝、ドナーが見つかり、手術。「3日が峠」と告げられた》

 気づいたら家族が私をのぞき込んでいたのが、次の記憶です。手術から2~3日後でしょうか。機械がついて身動きがとれず、病院っぽいとは思いましたが、なんで日本にいるはずの父や母がいるんだろうと。

 その数日後、父から「移植手術をしたんだよ」と聞きましたが、「え、私、切ったの?」と、実感がわきませんでした。人工呼吸器がついて、指は1本1本がくっついてしまうくらいむくみ、手足も腫れて動かない。大変なことだとは分かりましたが…。

                   ◇

 そのころは、苦しいのを乗り越えるのに必死でした。腹部を中心に全身が痛み、床ずれもできてしまうし。

 でも、2~3週間して危機を脱すると、「歩け、歩け」って、スパルタなんです。えーっ、歩くの?って感じでした。まず、立ち上がれない。1時間くらいかけて立ち上がって、トイレに行くんです。

 次は「食べられないうちは、退院させない」と言われて。食欲はないし、食べても吐いちゃう。その上、薬が多くて…。移植した肝臓を、自分の体が排除しようと攻撃してしまうので、免疫抑制剤で免疫力を下げるんです。薬は最初、看護師さんが砕いて点滴に混ぜてくれましたが、そのうち、1回に何十粒という量を、日に3回飲むようになりました。30分、1時間かけて飲み、飲んでは戻し、看護師さんに「吐いちゃました」と言って、また飲んで。

 最後は、退院したい、退院したいと思っていました。

                   ◇

 手術から2カ月後、吐かずに4分の3くらい食べられるようになって退院しました。

 退院のときは、たくさん注意を受けました。免疫力を下げているので、すぐに感染してしまう。生ものは食べてはいけません、ウイルスに弱いから貝類はだめ。お酒は飲まない。生き物を飼ってはいけない。外出時にはマスクをして、犬や猫をさわらない。室内に観葉植物を置かない-。「発熱は、37・5度が危険なライン、38度を超したら、戻っていらっしゃい」と言われました。

 《退院後も数回、入院した。家族で外食し、一緒に手作りサンドイッチなどを食べても、1人だけ当たる。病院からは「3カ月、1年、3年とクリアする峠があり、年を追うごとに生存率は低くなる。身体の変化も起きるので、覚悟してください」とも言われたという》

 最初のうちは、自分でも危ないなあ、怖いなあと思ってましたが、そのうちに熱やせきが出ても、「あ、まただ」って思うようになりました。

 日本では当時、脳死移植は行われていませんでした。治療を維持できるかという問題もあり、ロンドンにいるか、帰国するか迷いました。でも、病院で帰国を勧められました。「ご両親はとても、心配していたんですよ。これからはどんな問題が起きるか分からない。今はあなたにとって大切な時期だから、ファミリーと一緒にいることをお勧めします」って。手術から9カ月後に帰国しました。

                   ◇

【プロフィル】今川真紀子

 いまがわ・まきこ 1973年生まれ。父親の海外赴任で高校3年時に家族で渡英。大学4年時に急性劇症肝炎で脳死肝移植を受ける。大学を卒業し、97年帰国。日本で商社に就職。その後、再渡英し、夢だったウエディングの仕事に従事。04年帰国し、結婚。06年4月に出産。今年7月から来年6月まで、臓器移植への理解を訴える公共広告機構のキャンペーンに出演。兵庫県在住。http://plaza.rakuten.co.jp/prettyprinceでブログを掲載。



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Last updated  August 22, 2007 10:35:08 PM
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