臓器移植について思うこと
8月25日の日記へコメントを沢山頂きました。臓器移植に関する皆さんのご意見を聞かせていただき、感謝しています。大変失礼ながら、ここにお返事の代わりとしてまとめて私の想いをつづらせていただきたいと思います。臓器移植については賛否両論あり、だからこそ未だに臓器移植法についても議論が引き続き行われているのでしょう。今回、私が出演させていただいているAC公共広告機構のCM(臓器移植ネットワーク)で訴えていることは、「臓器提供意思表示カードを持ってください」という内容です。このカードは「提供の意思がある・なし」の両方の立場で意思を表示できるようになっています。脳死における臓器移植に対し賛成・反対それぞれの皆さんの意思を大切にし、表示できるような仕組みになっています。さて脳死における臓器移植に対して「人を殺して行なうものです」というコメントを頂きました。先日こちらのブログでも書かせて頂きましたが、「人が亡くなるのを待ってまで生きながらえる必要があるのか」と過去に言われたこともあります。「脳死」という判断は、非常に難しい部分で、だからこそこうして大切に急ぎすぎることなく議論を続けていかなくてはいけないのだと思います。ただ1つ、私が言えることは「脳死となってしまったドナーの方から、大切な肝臓を頂いたからこそ、今の私が、そして息子がいる」という事です。11年前のあの時、あと1日でも移植手術が遅れていたら、きっと私は命を落としていたでしょう。そして今こうして過ごしている毎日はなかった。今の私を見守ってくれている家族の生活もきっと大きく違うものとなっていたと思います。主人と出会うことも無かったし、この腕に大切な子供を抱くことも無かったでしょう。ドナーのご遺族の方にとっては「命を引き継ぐ」という言葉が違和感のあるように聞こえたのでしょうか。そうであれば大変失礼をいたしました。ただ心から伝えたいことは、私はドナーの方に心の底から感謝しているという事です。私は英国在住中に急性劇症肝炎になり、脳死肝移植を受けました。その当時、日本では臓器移植法も施行されておらず、日本にいたら命を落としていたかもしれません。ですので付け加えるならば英国という国や医療にも感謝しています。この気持ちは、自分の命が続いて行く限り、消えることは無いと思います。そして息子にもその想いをしっかりと伝え、大きくなった時に自分だけでなく他人の命も大切にできるような大人になって欲しいと考えています。自分1人では生きていけない。常に誰かに支えてもらい、守ってもらっている。私には目の前で私を守ってくれている人達以外にも、体の中で支えてくれている方がいる。現実として移植手術を受けたからと言って、必ずしも回復に向かうとは限りません。残念ながら2度3度と移植手術を繰り返さざるを得なかった方も知っています。私は幸運な事にここまで元気になり、移植手術後11年も経ちました。だからと言って、この先もずっと元気でいられるかどうかは分かりません。肝臓に対する拒絶反応がいつ起きるかどうか分からないからです。臓器提供の意思を決定されるご遺族の方々は、本当に勇気がいったことと思います。非常に辛く悲しい状況の中このような判断をされるのはとても苦しいことだったと推測いたします。でも私が経験できなかったかもしれないこの幸せな時を一日でも長く過ごしていられるのは、脳死になった方から大切な命を頂いたからなのです。ですので、ドナーの方だけでなく、そのご遺族の方にも私は感謝をしています。だからこそ、どんなコメント(臓器移植に対する否定的な内容を含め)を頂いても心で受け止めることができるのです。コメントにもあった「臓器摘出された方のお話は確かに聞いた事はありません。」と言う箇所。確かにそれほど多くはないように思います。ただ移植関連の集まりですとか、臓器移植ネットワークが一般向けに発行されているthink transplantとう小冊子でご遺族の方の想いが語られています。また産経新聞の8月14日に下記の様な記事が掲載されています。ご参考までに転載させて頂きたいと思います。しかし体験者のお話が少ないのには変わりありません。ビールさんの様に考えられているご遺族の方のお話もお聞かせ頂きたいと思います。コメントを下さった方々をはじめ、本当に有難うございました。そして私が今できることは、頂いた命を大切にしながら、毎日を精一杯生きていくこと。それが直接お礼をできないドナーの方やご遺族の方への私なりの感謝の表し方となっています。<下記、産経新聞記事を転載>娘の命 七つの宝石に -臓器移植法10月で施行10年- 8月14日(火)付け産経新聞 平成9年10月の臓器移植法施行から間もなく10年。この間、脳死による臓器提供は57例を数えた。「ドナーファミリーの会」代表を務める東京都文京区の会社経営、田中和行さん(66)は、脳死に陥った二女、理恵さん=当時(27)=の意思を各地で語り継いでいる。理恵さんの臓器は7人のレシピエントの元に運ばれ、移植は成功した。人々に「生」をもたらした娘の7つの宝石、田中さんは「移植を受けた7人の中に理恵は生きている」と話している。 理恵さんは数年前のある朝、ジョギング中に車にはねられ、そのまま脳死状態になった。 理恵さんが臓器提供意思表示カードを持っていることを、長女が思いだしたため財布を捜すとカードがあり、サインも日付も記入されていた。心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸、眼球、その他。全て丸印がついていた。 田中さんはそのときまで、理恵さんが臓器提供の意思を持っていることを知らなかったという。娘の身体を傷つけることへの強い抵抗と、意思の尊重のはざまで悩んだ。 しかし田中さんは、ドナーカードに記入されたサインの日付を見て提供を決心した。事故のわずか7週間前、田中さんの母親の3回忌があったころで、生や命を考え抜いた末のサインだったと感じたからだった。 「こんなにきちんと書いているんだからかなえてあげようか」 田中さんの言葉に、妻も長女も同意した。 ■ ■ 病院から連絡を受けた日本臓器移植ネットワークのコーディネーターが到着、臓器移植について説明を受けた。提供の意思に変わりないことを、何度もやりとりした。 事故から3日目の朝、眠っているような理恵さんに別れを告げた。血色はよく、手も温かかった。しかし名前を何度も呼んでも、目を開けることはなかった。妻の希望で、目と皮膚だけは摘出しないことにした。 摘出の終わった理恵さんは病院の霊安室へ。お気に入りだった白いドレスを着せ、コーディネーターが白いカラブランカの花束を理恵さんの胸にささげると、まるで花嫁姿のようだったという。父「ドナーの意思生かして」 霊安室のドアが少し開いて、病院長が焼香を申し出た。同意してドアを開けると、医師や看護師、職員ら100人以上が並んでいた。「お嬢さんは本当によくやってくれました。何人もの命を救ってくれました」。院長の言葉に涙がこらえられなくなった。 ■ ■ 田中さんは現在、年間20数カ所の学校や病院で講演を重ね、こう語り続けている。 理恵さんは生きている。理恵さんという宝石箱から運ばれた7つの宝石として、7人の中で生き続けている。「もしあの時、臓器提供に同意しなかったらきっと後悔していたでしょう」と。 理恵さんとは逆に、意思表示カードを持ちながらも、記載の不備で意思を生かせなかったケースがこの9年半に100例以上もあることに心を痛め、臓器移植法の改正の必要性も訴えている。 「本人の意思の示し方がどういう形であっても、遺言としてそれをきちんと生かせる仕組みであってほしい。一人ひとりの命、意思を大切にする社会であってほしい」 理恵さんも同じことを思っていると、感じている。いつも有難うございます♪「臓器提供意思表示カード」認知度向上の為にも、是非クリックをお願いします