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Category

Jul 29, 2005
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カテゴリ:ワイン
史上最悪の二日酔い以来、だいぶ肝臓が回復してきました。
まだ赤ワインは飲む気にならないんですが、軽いスパークリング・ワインなら飲めるようになりました。
暑い日が続いてるし、スプマンテでも飲んで、ハッピーな気分になるのもいいですよね。
そこで今日は、イタリアの有名なスプマンテの造り手、フェッラーリのお話です。

ジュリオ・フェッラーリ・リゼルヴァデル・フォンダトーレDOC【1993】750ml
フェッラーリのHP

フェッラーリは、イタリアでもトップクラスのスプマンテメーカー。
リゼルヴァ・デル・フォンダトーレは、ガンベロ・ロッソ誌で、2001年(ヴィンテージは'92)と最新の2005年(ヴィンテージは'95)のスプマンテ・オブ・ジ・イヤーに選ばれています。
詳細は2005.6.8の日記(こちら)に書きました。
フェッラーリの創業者は、ジュリオ・フェッラーリという人なんですが、実は、フェッラーリの歴史を語る時に欠かせない一家がいます。
ルネッリ家です。

ルネッリ家は、ご先祖は、フランスのルネルという町の出身でした。
1703年に、フランスのヴァンドームという公爵の軍隊の一員としてトレントにやってきて、そのまま住みついてしまったそうです。
ヴァンドーム公爵は、フランスでは、ルイ14世の宮廷にシャンパンを紹介した人物と言われていますが、トレントでは、城を燃やした侵略者として記憶されています。
ルネッリ家のご先祖がトレントに移り住んでから200年後の1914年に、オーストリアがセビリアに宣戦布告して第一次世界大戦が始まります。
当時、ルネッリ家の子孫のカミッロ・ルネッリは39歳。トレントで果物を輸出する会社を経営して、大金を稼いでいました。
シチリアで柑橘果実を仕入れて、ウイーンの上流階級に売るという商売です。

ここで歴史の解説を少々。
当時のトレントは、オーストリア領でした。
イタリアは、ドイツ、オーストリアと三国同盟で結ばれていたのですが、イタリアは、秘密裏にイギリス、フランスと条約を結んで、同盟を裏切る代わりにし、トレント地方などを手に入れる取り決めをします。
だから、第一次大戦の時は、イタリアはオーストリアと戦ったわけです。

トレントは突然イタリア領となり、きのうまでの支配者と戦うことになってしまいました。
ウイーンとの貿易で稼いでいたカミッロは、ハプスブルグ家に忠誠を誓って、オーストリアと戦うことを拒否します。
そして一時は町を離れて渓谷に身を潜めます。
こういう人たちが、他にも大勢いました。
そこでイタリア政府は、出頭したものは身の安全を保障すると呼びかけました。
結局カミッロは、呼びかけに応じて出頭し、イタリアの軍隊に配属されます。
でも、そこで待っていたのは、最前線での自殺的な任務でした。

彼は大怪我を負いました。
そして家族に消息も告げられないまま、病院で、3年も過ごしたのです。映画になりそう・・・。
戦後、奇跡的に家にたどり着いたものの、貿易で儲けた大金は、すでに紙くずとなっていました。
なんとか城の管理人の仕事を見つけますが、子供たちは学校をやめて働きに出なくてはなりませんでした。

ここで物語りの主人公は、カミッロの三男、ブルーノへとバトンタッチです。
ブルーノは、家計を助けるために、薬屋に見習いとして入りました。そしてあっと言う間に店長になります。
父親の血を引いたのか、生まれながらにして、商売の才能があったんですね。
21歳になったブルーノは、仲間と一緒にワインを売る店を開きました。
そして2年後には、単独でパスティッチェリーアも始めます。
店は大繁盛し、トレントでは、「ルネッリの店で会いましょう」、というのが挨拶がわりになるほどでした。

店はグルメたちの溜まり場でした。
ブルーノは、常に最高のワインやドルチェを用意していました。
第二次大戦後、ブルーノは、スプマンテに取り付かれます。
ちなみに、1947年までは、イタリア産でもシャンパンと呼ぶことができたので、当時はジャンパンと呼んでいました。
彼の店のすぐ近くに、70歳代の紳士が住んでいて、シャンパンを作っていました。
ブルーノは、彼の店を毎日訪れたそうです。
その紳士こそが、ジュリオ・フェッラーリ氏でした。

さて、物語の主人公は、今度はジュリオ氏に移ります。
続きはまた明日。





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Last updated  Jul 30, 2005 08:29:11 AM
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