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2014/01/08
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カテゴリ:私の音楽館
まだ,心の中の整理が付かない。何をどうまとめていいのかも分からない。

もう御存知のとおり,去る1月3日に,食道癌で闘病中だったやしきたかじんが帰らぬ人になったと,昨晩所属事務所から告知された。確かに食道癌の闘病による休養も長引き,いつかはこんな日が来るのではないかと言うことは予想されたことなのであるが,それにしても唐突すぎる。早すぎる。そして若すぎる。いくらたかじんが常軌を逸した大酒飲みでかつチェーンスモーカーと言ったって,天上界に行くのにはいささか急ぎすぎだろうという気がしてならない。彼もまた,「浪速の急ぎ星」となってしまった。

もう,彼の人となりとか,サクセスストーリーとか,数々の武勇伝とかは,たぶんワイドショーなどで取り上げられていただろうし(見ていないので分からないが),それこそWikipediaで検索すれば自明のことだ。だからそんなことは書かない。今日は私小説的に書いてみる。ただし,筋なしネタなしオチなしの酒場トークといきたい。その方が彼を見送るには相応しいだろうから(ただし今の私は素面であるが)。

私が最初にやしきたかじんという歌手,というかタレントを認知したのは,ABCラジオの帯番組だった「聞けば効くほどやしきたかじん」からである。とにかく達者なトークで一気にファンになった。そして,「あんた」をええ曲やなあと思い,「やっぱ好きやねん」で魅力にはまり,「ICHIZU」で一気に引き込まれてしまったのだ。それが1985年から1987年。ちょうど私が高校生,特に受験モードになっていたころと被さるのである。大学受験が一段落付いたときには初めてベストアルバムをCDレンタルで手に入れて聞き込んだ。しかし,私は1988年春の最初の大学受験で挫折するのである。そして予備校生活。そのときに出来た心の傷に,たかじんの歌はじわじわと効いてきたのである。彼の歌がなければ,私はそこでへたばっていたかもしれない。彼の歌で,立ち上がることが出来た。そして再び迎えた1989年の大学受験。結果だけ見たら2勝2敗だったが,大本命の大学に失敗してしまった。以前も書いたが,その結果流れ着いたのが,ほかならぬ広島大学の法学部である。正直言って,ひとつ間違えば,私はどんな曲がった道に進んでいたかもしれない。しかし,それを救ってくれたのは,確かにカープの存在も大きかったのだが,ABCテレビの帯番組「晴れ時々たかじん」をなぜか広島ホームテレビがネットしていることを知ったからである。広島でたかじんの番組が見れる。それだけで十分だったのである。

さて,今でこそたかじんの曲はかなりレアな曲までカラオケに入っているが,昔はそうじゃなかった。特に私の大学時代は広島でのたかじんの認知度はまだ低かったから,カラオケで歌うのも勇気がいった。でもほかの誰よりも聞き込んでいるという自負のあった私のこと,カラオケと言えば絶対にやしきたかじんを外さなかった。といっても,ごくわずかなシングル曲しか入っていなかった時代である。それでも歌い込んだ。新曲が出たらとにかくマスターした。まだ若かったし市民球場や藤井寺球場で鍛えられていたから声には自信があった。そして通信カラオケが普及し始めてカラオケにもたかじんのレパートリーが増え始めたら,もうたかじん一辺倒である。好きだったのは「雨の日はバラードで」と「ICHIZU」,「さよならが言えるまで」,そして「大阪恋物語」である。当時はたかじんのコピーに近いくらい歌える自信があったのだが,今は声が出なくなってもう無理だ。特に高音部がもう伸びない。こういうところでも改めてたかじんのボイストレーニングのすごさを思い知ったのである。なんせレコーディングのリハは3度までという伝説があるくらいなのである。先日私の好きな曲である「午前2時のモノローグ」があったので喜んで入れてみたら高音部が全然出なくてがっかりしたものである。

コンサートには,1989年,90年,91年と3年連続で行った。3年連続でメルパルクホール
だったが,とにかく歌とトーク,いやトークと歌のシンプルな構成。歌に酔ってトークに沸いて,とにかく楽しかった。そもそも歌はそこいらの凡百な歌手の何十倍もうまいし,話術は天才的だったから,それだけで余計な仕掛けをする必要がなかったと言うことも言えるだろう。ただ,1991年のコンサートのアンコールに,「見上げてごらん夜の星を」をチョイスしたことだけが,妙に心に残っている。

まだまだ話は尽きないのだが,これ以上書いても同じことをだらだら並べることになるだけなので,もうやめにする。だからこそ,最後に,私は弊ブログのネタによく替え歌を用いるが,たかじんからも「なめとんか」と「ICHIZU」をチョイスした。だから,このたびのたかじんとの別れにあたっても,たかじんの替え歌で送ることとしたい。曲は,たかじんのシングルデビュー曲,「ゆめいらんかね」から最初の2節を。

♪ シャイな歌唄いが ひとりいた コアなファンには 愛されてた
  春になれば 病が癒えて テレビに出てくる 約束やった
   ゆめひとつ いらんかね・・・(×4)
  不幸はこっそりやってきて 知らん振りして 通り過ぎる
  ある年の正月 天に召されて 男はそれきり 姿を消した
   取り立ての涙 いらんかね・・・(×4)

御冥福を衷心よりお祈りいたします。
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Last updated  2014/01/08 10:16:24 PM
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