ろー・ふぁーむ・かるぴお by pridegreen

2016/04/21(木)21:15

雨の日は嫌事で。 その3

つれづれ(1015)

本当はサンフレッチェのACLグループリーグ敗退のことでも書きたかったのだが,とりあえずまだ1試合残っている。最後までJリーグ王者の矜恃をもって戦ってほしいという思いもあるのだが,やはりまだまだいろいろな思いが去来して整理できない。これは必ずグループリーグ全日程終了後に総括することとしたい。昨日のカープについては,もはや書くことなんて何もない。なので,スタンバイしていた天使さんと悪魔さんには申し訳ないが,ぐだぐだと雑想を書いてみたいと思う。それで,今日は広島も終日本降りの雨だったこともあって,1年前に2度使ったきりのこの標題を引っ張り出してきた。もちろん,弊ブログの読者の方であればこの標題の元ネタはお分かりになるだろう。 といっても,何を書き出していいのか分からない状態でPCの前に座っているのだが,私は名のある文人でも名文を書かなきゃ名前に傷がつく立場でもないから,これでいいのだ,と開き直ってみる。そういう意味では文章で飯を食っている人というのはある意味尊敬に値する。私には出来ない。 といいつつ書かなきゃ始まらないので,本当に思いつきで書いてみるが,この程度の雑文を書く際にも,一応自分の中で決めている約束事はある。それは,極力横文字やカタカナ語は使わないということである。などと書くと過去の文章全部ひっくり返して違うじゃないかと言われそうなので困るのだが,あくまで努力目標である。そこまで私は自分に厳しい人間ではない。出来ればそうしたいなあと思っているというところで考えていただきたい。 とはいえ,敢えてカタカナ語,場合によっては横文字で書くことを選択することだってある。もちろんもはや日本語と同化しているものはその典型である。サッカーのことを敢えて蹴球と書くとかえって変だし,アンパイア,レフェリーを一括して「審判」と書くと違和感がある。やり過ぎると戦時中の「敵性語」と変わらなくなってしまい,かえっておかしい。 もう一つは,日本語に適当な訳が見つからない,あるいはニュアンスが伝わらない場合である。一番よく使うのは典型的なのはアイデンティティだろう。これほど適訳のない言葉はない。ほかにはヒエラルキィもそうだ。リベラルアーツという言葉も時々使った記憶もあるが,これは日本語でいう「一般教養」とは違うニュアンスで使いたいからである。え?どういう意味かって?そのくらい辞書引こうよ。もし英英辞典持ってたら楽しいよ。 時には,横文字をそのまま使うことがある。uniqueがその典型だ。ユニークと書くと誤解を招く。本来のuniqueの意味は「唯一無二の」である。別に英語の勉強しているわけではないからこれ以上触れないが,この意味で使いたいときにあえて使ったことがある,ように思う。 しかし,出来ることならわかりやすく,かつ格調高く見えるような文章を書きたい。私が文章修業の師と仰いでいるのは故宮脇俊三氏であるが,簡にして要,推敲の効いた文章は読み応えがあってわかりやすい。もちろん根本的にリベラルアーツの素養が違うわけで,その域に達することなど相当の修業を積まないと不可能なことなのだが,せめてその影くらいは踏んでみたい,いや後ろ姿くらいは眺めてみたい。などというのはほとんど妄想に近いのかもしれない。 おせいさんこと田辺聖子女史は,ある本の中でできるだけひらがなを使って小説を書きたいとものされていて,実際非常に平易なひらがな語で格調の高い小説を書かれている。もちろん私がそれをやると出来の悪い真似になってしまうので,逆に私の場合は漢語,文章語を多く使うようにしている。一度前編明治文語文調で書いてしまったことさえある。それが時にかっこつけのように思われるかもしれない。そのとおり。かっこつけだ。自分だってかっこいい文書を書きたい。その煩悩を捨て去ることは出来ない。でも,それなりにわかりやすい文章を書きたい。ただ私の筆力では,それをaufhebenすることができないだけだ(言ってる端から横文字使っちまったな)。 だからこそ,文章で飯を食っている人はすごいと思うのである。私のような駄文であれば限られた読者の方にあきれられバカにされるだけだが,文人ともなれば百万人の読者の批評を受け,加えて時の試練にも耐えなければならないのである。私に出来るような稼業ではない。 こう見えてたまには真面目なことを書く。 BlogPeopleSIGMA People (告知) 姉妹サイト「ろー・ふぁーむ・かるぴおANNEX」もよろしくお願いします。

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