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テーマ:京都。(6065)
カテゴリ:つれづれ
昨日は「少しは気力が回復してきたような気がする」などと締めたところであるが,やはり気の病というのはそう簡単にはいかないようで,今日も今日で朝からほとんどうすぼんやりしていた。正直なところこれはかなりやばいのではないかと思っているのであるが,どうやらその原因が半分くらい解明したような気がする。
今日は午後からは皇后盃都道府県対抗女子駅伝をテレビで見た。なかなか最近はスタートからフィニッシュまで通して見ることは少ないのだが,今年はまあ久し振りにテレビ観戦をしたところである。結果とかレース内容とかいうものはさておき,ぼんやりとした頭で見終わって今日から初日が始まった大相撲中継にテレビが切り替わってしばらくしたところで,なにやら今の気病みの原因について気付いた。それが正しいかどうかは分からないが,自分では納得している。 その理由は,慢性的な「京都恋しい病」らしい。 言うまでもなく,都道府県対抗女子駅伝の舞台は京都である。そして,京都の駅伝コースには私がかつて過ごした懐かしい光景がいっぱいに広がるのである。これが精神状態が普通の時は見ても何も感じないのだが,気持ちが弱っているときには無性に京都に行きたい症候群が発動される。今日の駅伝の内容よりも,映像に映し出される駅伝コースの光景のほうが強く心に残っていることから見ると,どうやらそうらしいのである。 この病気の治療方法は簡単である。日帰りででも京都に行ってその空のもとにいる,いや空気を吸うだけでしばらくは収まる。で,独身で気楽な頃はそういう症状が出たら京都に出奔していた。ところが,今となってはそういうわけにはいかぬ。必然的に鬱屈した気持ちがだけがたまって,それが私の心身に悪さをしているらしい。困ったものだが,どうしようもない。 もうひとつそれを直す方法とすれば,目先にそれよりも楽しいことができることである。しかし,昨日も書いたとおりそれがなかなか見つからない。どうもしっかりと腰を据えて書を読む気になれず,音楽に逃げようとしてもなかなか新しい発見がない。「ももたまい」くらいである。 こういうときには何としよう。広島に1店舗だけあるイノダコーヒに行って京都を疑似体験するか,あるいは思いっきりディープな音楽でも聴いて心身をどん底まで沈めるか。ここはひとつヘルベルト・ケーゲル指揮の「アルビノー二のアダージョ」でも聴くとするか。 いや,こうやって茶化すので必死なのである。 BlogPeopleSIGMA People (告知) 姉妹サイト「ろー・ふぁーむ・かるぴおANNEX」もよろしくお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018/01/14 10:22:29 PM
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