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カテゴリ:つれづれ
裁判員制度10周年ということで,法曹三者の協力の下,本日広島地裁でカープOBを招いての模擬裁判員裁判が行われた。参加したのは在広民放各局代表ということで池谷公二郞,北別府学,山内泰幸,そして天谷宗一郎の4氏(年齢順)である。そのほか明日の三次でのドラゴンズ戦と6月22日のバファローズ戦はコラボゲームと言うことのようで,本日参加者に配られたカープとコラボのクリアファイルと同じものが配られるらしい。
私は今日は残念ながら帰りが遅かったため,夕方のニュースワイドでこれがどのように取り上げられたかは分からない。朝刊のテレビ欄を見た段階でこの話題を取り上げることは分かっていたのであるから,録画しておけばよかったと思いもしたところであるが,今日のお題はそのことではない。裁判員制度については私は元一憲法学徒として思うところあるのだが,今日は書かない。 今何かと,刑事裁判のあり方について問われているニュースが多いところである。それについていろんな人がいろんなことを発信できるのがこのSNSの時代の長所でもあり怖いところでもあるのだが,一番危惧しているのは,何か刑事裁判というのは被告人または被疑者を徹底的に断罪し,懲らしめるためのものであると勘違いしている向きが多いことである。それが露骨に現れたのは,経産省の元えらいさんが交通事故を起こして人を死なせてしまった池袋の事件だろう。 まず前提として。逮捕・勾留というのは捜査のためのものであり,被疑者を懲らしめるためのものではない。逮捕について言うならば,あくまで逃亡のおそれや罪証隠滅のおそれがある場合に身体の保全のためになされるものであり,かつ,逮捕の必要性について令状請求の段階で裁判官に吟味されるものである。したがって,こいつは犯情としてけしからんと言うだけでは逮捕する理由にはならないのである。勾留についても然り。これが理解出来ないなら,議論から退場すべきである。そして,然るべき刑事法の本でも一冊読んだ方がよい。 あの事件でもし捜査当局側を批判するならば,件のえらいさんには逮捕されるべき理由と必要性があると議論を立てなければいけないのである。感情論で逮捕しないのはけしからんというのは零点なのである。その後大津で同様の痛ましい事件があって被疑者が逮捕されたとの報道がなされて,それを受けて件のえらいさんを逮捕しなかった捜査当局への批判が強まったように感じるが,大津の被疑者は現行犯逮捕である。その場で(少なくとも)逃亡のおそれありとして身柄を取られたのである。池袋の事件は,もし件のえらいさんが怪我してなければそうなっていた可能性が高いのではないか。 まあ,柄にもないことを書いたら脳みそが疲れてきたのでこの辺でやめておくが,この事件で云々するのならば,経産省の現職キャリアが覚せい剤で逮捕された件こそもっと厳しく報じられるべきだと思うのだが,なぜかプレスも口が重いし,この件を強く指弾しようとする向きも少ないようだ。覚せい剤の使用だけでも10年以下の懲役という重罪である上に,今回は輸入の疑いもかかっている(これはもっと重い)。さらに経産省内から注射器が見つかったとかなんとかで,突っ込みどころの多い事案であるにもかかわらずである。正直言って,ピエール瀧のコカインの事案で脊髄反射的に彼を叩いて,この件に何も思わないようなら,自分はバカだと思ったほうがいい。 刑事裁判は見せ物ではない。 BlogPeopleSIGMA People お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2013年の類似交通死亡宇事故例
元フジテレビのアナウンサーであり、「チノパン」の愛称で親しまれていたフリーアナウンサーの横手(旧姓千野)志麻さんが静岡県沼津市の駐車場で起こした死亡事故について、沼津署は横手さんを書類送検する方針を固めたと報じられている。 一方、別件の報道では、神奈川県相模原市で無職の女性が駐車場で車をバックさせた際に女性をひいた死亡事故が起きたが、この事故では運転していた女性は現行犯逮捕されている。 他、同時期に2例、同様の駐車場内・死亡事故の被疑者は、両者とも現行犯逮捕である。 事故現場が駐車場であったこと、容疑が自動車運転過失致死であることなど、あくまで報じられている内容だけを見れば類似した事故であるようにも思える。しかし、前者の事故では加害者は書類送検、後者の事故では現行犯逮捕と、警察の対応は異なっているのだ。 ちなみに、チノパンの夫は元総理大臣・福田康夫の甥である。そして死亡事故時にチノパンはケガなど負っていない。現在の交通死亡事故の厳罰化からすれば、現行犯逮捕が妥当にもかかわらずチノパンは逮捕を免れている。 池袋の事故で元経産相の爺さんが叩かれているのは、何もその一件の事故に対してだけではなく、過去にチノパンのような事例が数え切れないほどあることへの国民の怒りじゃないのか。日本国憲法第14条1項に規定されている法の下の平等が著しくアンフェアに裁かれていることへの反発だと思うがね。 実体験として、官僚、大企業の幹部、国立大の教授など「上級国民」と呼称されている者が、通常なら逮捕案件のような重罪でも書類送検で済まされたり無罪放免となった事例を間近で見てきたのでね。そういう連中には報道規制網が敷かれるので公になることはない。よって池袋の死亡事故の被疑者である爺さんの扱いには何ら驚きはない。ただアンフェアだなぁという率直な感想はある。 中高年になれば、平等や公平という単語がいかに虚しいか実体験として身に染みている。悲しいかな、権力と金が平等という概念を見事にねじ曲げられているのが実態だ。 外交官なら海外で起こした殺人は、不逮捕特権で罪に問われない。無駄死にした被害者はたまったもんじゃない。 キャリア官僚の事件報道が大きく扱われないのは、メディアの構造からして自然の流れであり、正義感を振りかざしても何も変わらない。 数十年前、伴侶のお腹の子を会社の爆発事故で亡くしたが、報道は地方新聞の片隅に3行ほど載った程度でTV報道はされなかった。報道規制協定の一貫である。大企業や官庁の職員ならマスメディアと警察を抱き込むグルであることは誰でも承知済みである。事故後、会社の対応はお腹の子は人間1人にカウントしない規定で補償も謝罪もしないと突っぱねた。 理不尽がまかり通るのが現世であり、ひとつの理不尽を取り除けば新たな理不尽が生まれる。もうそれは避けて通れない。受け入れるしかない。 護憲だ改憲だとかしましいが、憲法は人命を保障する金科玉条じゃない。 (2019/05/21 04:27:41 AM) |