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テーマ:~広島東洋CARP~(4355)
カテゴリ:今日のカープ
緒方くんとそのフォロワーは二言目には「守り勝つ野球」を唱道するのであるが,それは誤りであることは常々私は書いているところである。理由など自明と思っていたのだが,どうでもそうではないらしい。なので,屋上屋を架すことを承知で敢えて考えるところを書いてみることとしたい。
まず,「野球は点をたくさん取ったチームを勝ちとする競技」であるということを確認しておかなければならない。これに異を唱えるものはまさかいるまい。公認野球規則の一番はじめに書いていることであるから。すなわち,野球という競技は点を取ることをその本質とするということに他ならないのだ。と,いうことは,「打ち勝つ野球」で臨むことが勝利への近道ということである。はい,これでおしまいといいたいところであるのだが,さらに蛇足ながら。 私が常々言っている「打ち勝つ野球」というのは,非常にそのアプロウチが単純である。とにかく点を取る,ただそれだけだ。繰り返すようだが野球は点を取ることを目標とするスポーツなのであるから,それに向かってまっすぐにアプロウチしていけばよい。しかし,「守り勝つ野球」というのは,そのアプロウチ方法をひとことで言うことは困難だ。「守り勝つ野球」を唱道する向きにも,それを的確に説いている言説についぞお目にかかったことがない。 こういうと必ず反論が来る。「無駄な点をやらない」ではないか,あるいは「ミスをしない」ということではないか,と,しかしそれは誤りである。理由は簡単。 まず「無駄な点をやらない」。「無駄な」という概念が曖昧だ。要するに目標たり得ない。それに,いくら失点を防いでいったにしても失点よりも多い点を取らないと勝てないのだ。この時点で,「無駄な点をやらない」というのは,勝利への副次的アプロウチに過ぎないということであることが分かるだろう。 そして「ミスをしない」。一見理にかなっているようにも見えるが,誤りである。なぜか。 野球というのは,次の機会にミスを取り返すことが許されている競技なのだ。だから,マイナスをだしてもトータルでプラスになればOKなのである。それに思いをいたせば,「ミスをしない」ということを金科玉条のように振り回すのは誤りなのである。 蛇足ついでに付け加えると,プロ野球のペナントレースのように長期スパンのStrategyを考えるならば,なおのこと「守り勝つ野球」のアプロウチは苦しいのである。得点の積み上げというのは比較的簡単だが,失点を削るというのは非常に厳しいのである。 前に先回りして書いてしまったが,「守り勝つ野球」というのは,勝利への副次的アプロウチとしては重要である。当たり前だが失点が少なければ少ないほど勝つために必要な点は少なくてよい道理である。だから全く無意味と斬り捨てるのもまたバカである。しかし,それを錦の御旗のように振り回すこともまたナンセンスだということなのである。 と,ここまで書いていて気がついた。「守り勝つ野球」というのは,赤ヘルの伝統である「隙のない攻守」とニアリィイコールであるという勘違いが広まっているからではなかろうか。もちろんそれはとんでもない誤りであることは,もういわずもがなだろう。 もっと真摯に野球を見ようよ。 BlogPeopleSIGMA People お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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