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テーマ:~広島東洋CARP~(4355)
カテゴリ:今日のカープ
たかだか4日前に書いたことをそのまま引用することは気が引けるのだが,我ながらよくアジれていると思うので敢えて引っ張ってくることとする。今日はそれについて深堀りしてみたい。
「信じがたいことにこういうのを無批判に信奉する頭の弱いファンがいるやに聞いている。だからカープは駄目になるんだと言わざるを得ないし,それこそハジメの思うつぼだ。少しは頭を使えよ,考えろよ。なんでヒロシマ球界ムラの掟に思考が制限されるんだ。いや,縛られるのは勝手だが他人を巻き込むな。 カープをもう一度常勝球団に戻すには,我々がハジメに対してもっと圧をかけなければならないと思っている。そのためには,我々がハジメの既定するパラダイムから自由にならなければならない。しかしながらそれを阻止しようという向きがファンの中にいることを残念に思うのである。」 とにかく,ヒロシマ球界ムラの狭いサークルの中で展開されている筋の悪い議論には,辟易しているところだ。なんでもハジメの言うこと,あるいは鈴木清明の言うことに無批判に追従することがカープファンとして望ましいあり方であるとされているが如くである。こんなけったくそ悪い思考は平成の遺物として葬り去りたいところであって,令和のカープファンにとっては唾棄すべきパラダイムであるはずなのである。 しかし,相も変わらずこういう思考がカープファンの中に蔓延しているようである。ほんとうにアホかと思いたいところであるし,たぶんあほう以上の何物でもないのだろうが,何故かこういうのが大威張りなのが哀しいところだ。 こう言う連中が二言目に言うのが,昨日も書いたが正体不明の「カープらしさ」である。これを定義することは不可能だ。なんせそういう連中の頭の中でだけ存在するファンタジーに過ぎないものだからである。それゆえに莫迦にするほかないのだが,そのファンタジーを前面に押し出して善良なカープファンを騙そうとしていることは納得がいかない。これはカルトのやり方である。そう,まさにカルトなのである。それ以上でも以下でもない。 こう言う連中の言う「カープらしさ」などというのは,所詮ハジメにとって都合の言い言い草でしかない。ハジメのカープファン統制のためにもっとも都合のいい戯言なのである。ただ,正面から論難されたらあっけなく破れるほどのものである。そんなもの,ハジメは分かっている。そこまで彼奴は莫迦じゃない。 そのために考えたことは,ファンにHierarchyを作ることである。そして多くのファンは,それにまんまと乗ってしまった。残念なことである。よって,自分は位の高いファンだというプライドが正体不明の論拠ならざる論拠を前面に押し出して訳の分からない議論をさせるというバカバカしい構図が生まれているのである。 この構図を打開するのはどうしたらよいか。まだ特効薬は見いだせていない。しかし,引用したとおり,「ハジメに圧をかける」ことによらざるを得ないことは,確かだ。 やると思えばどこまでやるさ。 BlogPeopleSIGMA People お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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らしさを踏襲するのは、思考停止以外の何ものでもない。らしさに逃げ場を作れば、そりゃ楽だろうよ。
カープらしさ=指揮・指導者を安価な無能OBで固める=安物買いの銭失い カープらしさ=打線を俊足選手で固める=出塁率が低く無意味=盗塁死連発 カープらしさ=チームバッティング=意味不明 1アウトを献上しランナーを2塁に進める程度でハイタッチして喜ぶな。馬鹿馬鹿しい恥ずかしい。億を貰ってるプロ選手の「犠牲バッティング」などあり得ない。観客は、スター選手のセカンドゴロを観るために高い観戦料金を払っているわけじゃない。 カープらしさ=チームは家族(笑) 家族を捨て犯罪チームに移籍する美しいカープ愛(笑)。 「カープらしさ」とは、何も考えず同じ過ちを連綿と続けることを指す。 結局、カープらしさとは敗北主義なのだ。 (2019/10/15 05:17:14 AM) |