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カテゴリ:つれづれ
くだらない仕事から離れること3日を過ぎ,朝も頭の働きは順調で午後もゆっくりと本を読んで思索を巡らしていたときに,無粋な電話のおかげで2時間以上時を無駄にしてしまったみどりの日。おかげで,頭の中はさっぱり真っ白になってしまった。まあ,それはそれでもよい。
昨日珍しく真面目に書いたけれども,このところひさびさに憲法関連の本をよく読んでいる。個別の解釈論と言うよりは,立憲主義とはなにか,自由とはなにかという思索を続けているところである。もちろん私は学者ではないからそれでなにか文章をものそうという気はないのだが,なんとなくそういうことを考えてみたくなる事象が,世の中には多いのだ。 なかには今こそ憲法について考えたいという方もいらっしゃるかもしれない。以前も書いたが,今出回っている憲法の本は玉石混淆,を通り越して焚書にしてやりたいようなくだらない本が書店の憲法書の書棚に陳列されているという憂うべき事態が起こっているのである。もちろん,定評のある憲法の基本書もあるのだが,残念ながらまずはじめに手に取る一冊としてはお勧めできない。 とにかく一冊と言うなら,先日も挙げたが樋口陽一教授の「リベラル・デモクラシーの現在」を挙げたい。敢えて加えるならば佐藤幸治教授の「世界史の中の日本国憲法」を挙げる。この二冊を熟読吟味すれば,最近跋扈しているような薄っぺらい憲法論もどきなど鼻息で吹き飛ばすことがができる,はずだ。 なんやかんや言って昨日書いた方がよさそうな話になってしまった。要するに,何か新しい話をものすほど思索が巡っていないのである。まあ,こういう日は,開き直ってゆっくり無為を楽しむのがよいかもしれない。クラシックを聴きながら本を読み流すかそれすらもせずにぼんやりとしているのがよいかもしれぬ。 とりあえず隙あらば聞こうとして手元にあるのが,ひとつはオットー・クレンペラーがウィーンヂルハーモニーを指揮したライヴ盤のCD-BOX,もうひとつがヘルベルト・ケーゲルの残した録音のCD-BOXである。前者は本当に奇跡的な名演揃いで,後者はいかにもケーゲルらしい超極辛の名演である。ただし,後者だと読書のお供には向かないかもしれないが。 まあ,疲れたときは古典だね。 BlogPeopleSIGMA People お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020/05/04 07:18:03 PM
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