ろー・ふぁーむ・かるぴお by pridegreen

2021/12/22(水)21:37

真冬の夜の夢。

つれづれ(1015)

本日は二十四節気のひとつ,冬至である。これから寒さが改まる時節である一方で,年を越した頃から徐々に日暮れが遅くなるのがわかる,少なくともあの秋冬の夕べの「釣瓶落とし」ではなくなるのである。冬来たりなば,春遠からじ。そういう言葉が実感できる季節であるのかもしれない。 私は冬至だからといってゆず湯も使わずなんきんも食べず,ましてや京都人の言う「冬至の七種」(なんきん,れんこん,にんじん,ぎんなん,きんかん,かんてん,うんどん(うどん))とも無縁だったのだが,とにかく今日で業務上最もくだらないと思える行事が終わったので,心はすっきりしている。冬至だけにまさに一陽来復,これから運気が上がる,かどうかは,わからない。 そんな冬至の夜。正直何をするでなく,相変わらず痛みが取れぬ腰をさすりながらぼんやり過ごしている。いや,そろそろ年賀状の準備をしなければならない。とりあえず12月25日までに出すと元旦配達に間に合うとのことであるので,やはりそれには間に合わせたい。睦月二日や三日によっこらしょと舞い込ませるというのは,やっぱり気持ちのいいものではない。とはいえ残り3日もないのであって,いささか焦っている,わりには重い腰が上がらないから,我ながらなんだかなあと思う。 まあやることと言えば,歳末恒例のシリーズのネタ繰りくらいである。今年はまあ特級の嫌事になる見込みなのであって,正直ぼやきたくてぼやいてるんやない,世間が自分をぼやかしてるんやと嘯くつもりである。しかし,ベースとなるものはあるのであって,それをひとことで言えば「夢」である。私だってカープを,サンフレッチェを贔屓にしていて,なにより広島に住んでいるから,少なくとも平等に夢は見たいのである。カープは,サンフレがともに日本一になり,広島という町が発展して希望を持てる町になることを祈っているのである。 しかしながら,現状は何かとそれに対する阻害要因が多いのである。そしてその阻害要因の根っこには,共通の宿痾があるようにしか見えないのだ。ならば,それを取り除いてよねと言いたいだけなのである。そうすれば,みんながハッピーになるんじゃないのと。 そうならないのは,偏にその宿痾であるべきものにしがみついて甘い汁を吸っている者どもがいるからのほかならないのではないか。そいつらに対しては,徹底的に緑色マシンガンを乱れ打ちにしたい。玉座をもって胸壁となしているような連中に対して。 あんまり書くと長くなるし,収拾つかなくなるので,やめる。それに,歳末に書くべき肝心の本編が水割りになってしまう。 来年は私にとっても我が家にとってもひとつ転機の年になる。高3になる娘は本格的な受験戦線に挑むし,私は私で部署変わりの可能性がある。今の持ち場は私にとってあっていると思うのだが,そういうところを見せると全く行きたくもないところに回されるのが我が社の最低なところである。しかもまあ,中間管理職にいる若いのは全く信頼が置けないというか,我が社の悪いところに浸かりきっているようなていたらくだ。だからこそ,なんとか脱出したい。今それについての策略を練っているところだ。成功するかどうかはわからないが。 あーおもろないないおもろない。 BlogPeopleSIGMA People

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