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カテゴリ:つれづれ
またしても自分の受験の話を持ち出して恐縮だが,1989年3月に第一志望だった京都大学法学部不合格という現実を突きつけられた私は,既に合格していた広島大学法学部への進学を決める。しかしそのときに,もうひとつ在京の私立某大学の商学部にも合格していて,一応二択の選択肢があった。どちらかといえば腕試しの意味での受験で,これも法学部はうまくいかず,商学部でなんとか合格したのである。
大学のネームヴァリューとかなんとかでは圧倒的に後者だったし,広大は見え見えの滑り止めで志望を大幅に下げた結果のものだったから,後者の選択も頭によぎったのだが,結局広大を選択した。これは決してカープが頭にちらついたのではなく,やっぱり後者は商学部というのが気に入らなかったのである。はたして自分は法学に適した頭だったかは今となっては全くわからないのだが,やっぱりやりたいことに最後は殉じたのである。大学のランクなどと言うのは,全く関係なかった。 それから23年たった今,今度は娘が来シーズンの受験を控えている。とりあえず大学のキャンパス見学などをさせて第一志望と第二志望は決まったようなのであるが,どちらも偏差値が変わらないと今日もブツブツ言っていた。まあ,私学ならいくら受けてもいいし,そもそもそれを言い出すのは早いのだが,今は気になって仕方ないのだろう。私は妙にオプティミスティックなところがあってそのうちなんとかなるだろう的な世渡りをしてきたのだが,まあ娘の反応こそ正常なのかもしれない。 それでも私の受験の経験からやらせてあげられることは,とにかく間口を広げること,より多くの大学をチャレンジさせることかもしれない。私は現役の時は国立2大学しか受けなかったが,ある意味暴挙だった。せめて関関同立の学部をくまなく受けていればどこかには引っかかったかもしれない。だからこそ翌年は腕試しがてらのチャレンジを都の西北(あ,言っちゃった)に定めたのである。それと,推薦入試とか総合型選抜にできるだけエントリィさせることか。本当に,今の入試は多様なメニューが設定されているので,ある意味うらやましい。 自分の時で言うと,我が母校は当時ひとつだけ指定校推薦の枠を持っていた。これまた大学の名前だけ見れば魅力的だったのだが,経済学部というのがネックになってやっぱり手を挙げなかった。当時の成績なら手を挙げたら通っていた可能性もあるが,まあ大いなるIFにすぎない。今となってはえり好みしすぎた気がする。だから財布の中身に福澤先生には縁がないのかもしれない(また言っちゃった)。 だから,私はこのたび共通テスト当日に東大農正門前で刺傷事件を起こした彼を笑えないのだ。自分だってたいがい京大法学部にとらわれていたのだ。ただひとつ違うのは,400人の定員がある京大法学部と,東大の中でも狂気的に頭のいいのが行く東大理科三類との違いだろう。それと,パーソナリティかな。彼のような激しい思い込みは,私にはなかった。むしろ前述のようにそのうちなんとかなるだろうでここまで渡ってきたのである。だから,植木節は偉大なのだ(なんやこの締めは)。 黙ってついてこられても,何も出ないが。 BlogPeopleSIGMA People お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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京大志望なら、私の出身校・甲陽に来ればよかったのに(笑)。兵庫の中で最も京大進学実績がある、はず?といっても、基本、国公立医学部を目指す生徒が大半なので、文系はオマケのような立ち位置になる。医専のような灘や甲陽で文系希望などと言えば、完全に異端児扱いで、必然的に文系クラスは少人数の1クラスしかない。とりあえず医学部志望にしておけば文転は比較的簡単かも?
友人でもある幹部(虎キチ)の息子3人とも広大理学部数学科卒で1人が某所でスパコン開発に関わっている。残り2人の息子も京都の大手企業勤務で父の年収をとっくに超えている、とか。3人の息子の基準からすれば、広大理学部数学科卒は優秀。京都には、地味ながら優秀な企業が多い印象やしね。 前に記述したように、私の場合、転勤族・故父の都合で転々としていたので、受験は成り行き次第だった。甲陽中学経由香川の高校中退から再度渡英。この時点で、日本の大学進学は選択肢から消えたかな。というより元々日本の大学進学に興味がわかないように洗脳する家庭環境だった。 そもそも我が家の教育方針はハチャメチャで、ステージ爺だったピアニストの祖父からはコンクールに出まくって入賞を重ね、祖父の出身校・モスクワ音楽院へ入れ!と。祖父の眼光鋭い鬼レッスンは、プロでも難儀する高難易度のラフマニノフ(ロシアの作曲家)を小3で強制的に弾かされたりしていれば、ショパンレベルが簡単に感じてくる。 日米ハーフの教育ママゴンはワンパターンのごとくハーバードへ入れ、と。(甲陽は以前から米大進学実績があり、2021年度は米大進学14名)。 で、肝心な本人(私)は、サッカークラブチームのジュニア経由ユースに入団したり、小学校高学年からはロックバンドを結成し、ストリートで小銭を稼いだり。祖父・母に反抗するというより、何事もやりたいことを本格的にやりきって限界を悟ることで、将来を決めたかった。難易度が高い場所で真剣に取り組むことで、己の限界を知ることができ、その後の展望が開ける。 音楽もスポーツも勉学も、一通り基礎を積めば、一気に難易度を上げたトレーニングが効果的だ。 数学の未解決問題はミレニアム懸賞問題と呼ばれ、クレイ数学研究所によってそれぞれ100万ドルの懸賞金が懸けられている。 P≠NP予想、ホッジ予想、リーマン予想、ヤン-ミルズ方程式と質量ギャップ問題、ナビエ–ストークス方程式の解の存在と滑らかさ、バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想(BSD予想とも)。 このレベルの解答挑戦は、IQ130以上のメンサ会員の最低レベル(IQ130)では無理。プロセスさえチンプンカンプンで九分九厘解けない。1度だけ試しにメンサに入会してみたけれど異次元。IQ145以上の人とは会話が成立しない。IQ180の人は何を言ってるのか理解不能。恥ずかし過ぎて1度きりで退会。上には上がいる、と。ミレニアム懸賞(1億円)問題挑戦者のIQは、おそらく最低でも150は要る感じ。 どっちにしても、難易度が高いところで扉をノックし、己のリミットを知ることで別の道が開ける。 (2022/01/23 04:29:25 AM) |