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テーマ:~広島東洋CARP~(4355)
カテゴリ:今日のカープ
思い切って取った夏休み11連休も、あっという間に5日過ぎた。その間やったことは、なにもない。これだけ無為を過ごすことができれば、逆説的だがかえって思考回路がすっきりとするのである。いかに普段の雑務が心身に悪影響を及ぼしているかということである。かといって今日の文章がいい文章である保証は、何もないのだが。
さて、カープは走ったり止まったり後退したりで、2位とも3.5ゲーム差だが最下位とも3ゲーム差という微妙な立ち位置にいる。こういうときが一番危険だ。上ばかり見て白星を積めない間に最下位に足下をすくわれて気がついたら最下位になるという危険性が高いのである。今こそ必死に勝ちに行くべき体制を取らねばならないのだが、そこは佐々岡である。きっと同じ轍を踏んで敗北へ一気に転がり落ちるだろうという予感しかないのだ。ならばなぜ勝てないのか、自分なりにあらかじめ分析してみたいと思う。もっとも、ここまで書いてきたこととほぼ同じ可能性もあるのだが。 なんと言っても一番に挙げなければいけないのは、徹底的なまでの形式的思考である。そういえば聞こえはよいのだが、一つの形を作ったら梃子でも動かず、うまくいかなくなっても呆然と立ち尽くすのみなのである。本当に融通が利かない。その典型が、後半戦になってオフェンスの戦術的な交代が白濱→會澤しかなかったということだろう。前の土曜日に野間を上本に代えたのがバッテリー以外ではじめての交代だったのである。これはありえないだろう。 これがうまく回っているときは、それでもよい。しかし、うまくいかなくなってもそれを貫くからおかしくなるのである。その典型が、森浦が疲弊しているのに徹底的に8回に起用してすり減らした起用だろう。こういう戦力を摩耗させるだけの起用が、山ほどある。これはまさに二〇三高地に歩兵の白兵戦を挑んで多大な犠牲者を出した大日本帝国陸軍そのままではないか。 さらにあげると、上記と繋がるのかもしれないが、いわゆる「あとひと戦果症候群」に陥っていることが挙げられる。機能していない戦術への固執と言えばよいか。撤退するのに戦術が機能していない以上の理由を求めるのである。これも多数の例が挙げられるが、會澤が攻守にスランプになっていた間に梃子でもスターターを外さず、スランプを脱しかけたところでスターターを外した措置が挙げられるだろう。 もののついでに挙げると、これは佐々岡がどうこうよりカープという球団の構造的問題なのだろうが、どうも過去の成功体験に引きずられているのかもしれない。特に1991年の優勝の体験から自由でないところがあるのだろう。長打力がなくとも繋いで点を取ればなんとかなるという誤った認識が広まっているのだろうと思う。それが、今のカープに流れている火力への軽視に表れているのではないか。 ほかに挙げられる要素はいろいろあるのだが、主たるものは上記の通りである。今日は終戦記念日だが、まさに大日本帝国の崩壊を導いた要素とかなりかぶっていると思う。要するに、佐々岡なんかに任せておけば、いや今のカープの構造的な要因をそのままにしておけば、崩壊あるのみだ。あとはそれをそのままにしていてよいですか?ということに尽きるだろう。明日はまたしても相手は柳裕也である。トラックマンの申し子対データ無視の丸腰野球を、また見なけりゃいけないのかね。 広島東洋カープランキング BlogPeopleSIGMA People お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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