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11月7日で終わる平城遷都1300年祭ツアーに姉と二人で参加、外人並みの歴史観しか無い私・・・一念発起、出発まで古代史を猛勉強となる、 一日目 興福寺・・・法相宗大本山、前身は山階寺~廐坂寺と経て奈良時代代々の天皇・皇后・藤原氏・によって堂塔がたてられ、手厚くほごされた、 後も平安・鎌倉・室町・江戸そして現代へとその歴史をきざみ続けている、
国宝館・・・国宝・重要文化財の宝庫、必見の仏像をピックアップする、 阿修羅像・阿弥陀如来像・板彫十二神将立像・乾漆十大弟子立像・乾漆八部衆立像・銅像日光月光菩薩立像・銅像仏頭・木造千手観音立像・木造天燈鬼龍燈鬼立像・などは、数ある仏像の中でも丹念に見る事が出来て満足でした、 東大寺・・・728年聖武天皇が亡き皇太子の供養の為に建立した金鐘寺がはじまり、 華厳宗大本山、広大な奈良公園の一郭。
必見の大仏は二度の焼失に会い現在の伽藍は1709年に再建されたもの、陽が入らず写真が上手く撮れませんでした、奈良公園一帯、広すぎて半日廻りでは無理~~~。
二日目 このキャラクター評判悪いわりには、逆効果で経済効果は15億! 平城京跡・・・昭和34年より本格的発掘調査がはじめられ、おびただしい木簡・土器・生活用具が発見され、2008年国営歴史公園となる、平成10年世界遺産に登録される。 飛鳥時代までは天皇が変わるたびに都も転々と変わっていたが元明天皇が藤原京より遷都してから784年桓武天皇が長岡京(京都)に移るまでの70年あまりの都、この時代を奈良時代と言う。 大極殿
高御坐・・・「たかみくら」国家儀式の際に天皇が着座した玉座です。
遣唐使船復元展示 ・・・遣唐使は、大使、副使のほかに、留学生、留学僧、通訳、医師、技術者、船員などで構成、当時世界でも最も進んでいた唐の政治制度や仏教、技術、学問を学ぶ為海を渡りました、平城京の国作りに大きな影響を与えました。
復元された朱雀門から平城京大極殿まで北にまっすぐ道が延びている(朱雀大路)兎に角広くてひたすら歩き、その大昔が偲ばれました。 朱雀門、門前広場では9時から20分程度の衛士隊の再現に間に会いました。
朱雀門より大極殿までの朱雀大路に踏み切りが有り、平城京跡、世界遺産登録地の真ん中を阪急電車が走ってます、遷都祭など予定も無い頃に開通してしまい、今更変更難との事です、
薬師寺・・・天武天皇により発願、持統天皇によって本尊開眼、さらに文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成をみました、その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです 東院堂(国宝・鎌倉時代)、聖観音菩薩像(国宝・白鳳時代)、薬師三尊像(国宝・白鳳時代)、 玄奘三蔵院伽藍・大唐西域壁画殿・・・平山郁夫画伯が30年の歳月をかけ完成された玄奘三蔵求法の精神を描いた壁画を絵身舎利としてお祀りするものです。
東塔三重塔・・・(国宝・白鳳時代)、お写経勧進によって、金堂、西塔、中門、回廊、更に平成15年3月に大講堂が復興され、この塔の建て替えの為にも、とお坊さんの説教後のお勧めに寄り写経書を買い求めました、後日書いて送ると本殿の経蔵に納めて下さるとか・・・、観光地のお坊さんらしく、事業仕訳けのお姉さんに西塔も有るなら一つじゃいけないのですか?って言われそうだと・・・可笑しかったです。 現代の日本人の浄らかな心の結晶が、堂塔伽藍のたたずまいとして未来の人々に継承されることを願い、薬師寺では皆様の更なるお写経のご結縁を願っております!と説教の結びのお言葉。 唐招醍寺・・・と言えば鑑真和尚、坐像を見たかったのに年に三回位しか公開されないと、今回は残念でしたが、千手観音は見られて良かったです、
金堂・国宝(奈良時代)・・・講堂(国宝)、鼓楼(国宝)、宝蔵・経蔵(共に国宝)、
若草山・その麓に戯れる鹿たちの品の良い顔立ち、物静かさが、安芸の宮島で会った鹿達とは違って見えましたが、これも神鹿(しんろく)と言われる所似かな~~と、
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