鋏が「なんばん」といわれる理由。
鋏が「なんばん」といわれる理由。詳しくは、種バサミの歴史を紐解けば種子島の精錬史が出てくるので特別に記す必要はないが、どうもこの当時の種子島は、様々な国の漂着があったようだ。この「南蛮」という云われ方は、本土から見た国外ものが「南蛮」つまり、どの国のものでも国外のもが「南蛮」といわれていたらしい。種子島では、当然中国の鋏も入っていた。南蛮渡来天文12年1543年九州の南、大隈の種子島に漂着した。鉄砲伝来の年、1549年ザビエル来朝1584年イスパニア商船がルソンより来航し、この頃から日本の鋏が西洋の鋏に影響されてきた。室町期に入って九州の南端種子島に、中国から中間支点の鋏が渡来し種子島鋏が生産された。清盛の曽孫にあたるといわれる種子島家の祖、平信基は、鎌倉時代ここに封ぜられると先進地ら工人を入れて鋳鉄の生業をはじめている。昔の種子島鋏は、砂鉄を使い、西之表東町で約30戸の家内工業としていたが後に泉州堺の商人が贋作を売り始めたので「本種」と改めたという。この鋏の優秀性は、砂鉄鍛錬の「はがね」のすばらしさであったといわれている。そのころもっと高い製作技術を誇っていた本土の鋏鍛冶は、そのままの形で作らず、合刃調子と美しい容姿をうちだして、日本流の木はさみ、花鋏、木綿鋏などを作り上げていったとされている。鋏を南蛮というのもこの一説にならうところがあるようだ。