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13日の昨日は山田宗遍流の初釜で浄明寺からの帰りちょうど散会の様子が見られました。表門はめったに開かれることがないので興味深々です。 ブログでは宗ヘン流のヘンの字はギョウニンベンが出ませんのでヘンに換わる遍を使います。また、偏在と遍在は対語になり意味合いが違うそうです。 かれこれ20年ほど前の話ですが、ここは、田中奏阿弥さんという方によって造られたそうですが、その時の逸話として3石の飛び石を打つのに3日掛かったそうです。当時とすれば動かし難い決意があったのでしょう。考え貫いたうえの配石だったと聞いています。 現在、10世父宗遍の死去にともない、21歳の若さで11世家元となる。同年南禅寺で得度を受け、幽々斎号を授かり、24歳で11世宗遍を襲名している。 宗遍は宗旦に茶を学び、宗遍流の始祖として小笠原家の茶頭を辞した後に江戸に住し弟子に茶を教えていた。吉良上野之助邸にも出入りしていたために、赤穂浪士の大高源吾が弟子入りし、密かに吉良邸の内部を探ったという逸話はあまりにも有名です。 宗遍流は、重要文化財の指定を受けた止観亭(恵観公山荘)と家元邸別棟にある茶道会舘の二箇所の道場を同じ鎌倉浄明寺に構えています。バス停近くにある表門からは報国寺の森を背景に表門が見える。不審庵の蹲居は天平時代の伽藍石を礎石としたものがあるそうです。この上に手水桶を置いて使う。四方庵の蹲居も棗形を用いるなど細かく考えられているそうです。さほど広くはないようですが目的は十分果たされた露地になっているそうです。 以下は昨日の営業行程です。土曜日の鎌倉は渋滞の場所がわかっているのでほとんど裏道を使っています。今回は、逗子方面からの行程写真です。
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最終更新日
2007年01月14日 12時49分26秒
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