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【不易】
いつまでも変わらないこと。また、そのさま。不変。「―な(の)教え」 2 蕉風俳諧で、新古を超越して変わることのない俳諧の本質。 不易を除く様々な事には必ずしも「正・誤」は最初から在るものでは無いと思う。 ともすると自身が答えを創ってしまうこともある。立場が違うことでどちらの 答えも誤りであり正しいのだ。 言葉を変えればそれが「思い込み」なのかもしれない。 「想い入れ」と「思い込み」では重さも違う。 この人生で最大の「思い込み」は「結婚」だとも云う人もいる。 これからここに書くことは同業の多くを敵にする事になるかもしれない。 8月、私は或植木屋さんからクビにされた。正確にはクビにした。が正しい それは、クビにする何度も試された一言が引き金。 ある事件が発端、晩夏のネムの木姿はいかにも涼しげだ。手入れを頼まれた お宅にそのネムがある。ネムは笠状樹形になる落葉の高木。植えて5年目、程よく伸びた先端はいい具合にしなっている。 どの木もそうだが、枝は自重によって樹形を形成する。その先端にこともあろうにハサミを入れた。 「ぱシっ!」 今まで自重によって程よい「しなり」がハサミを入れたことによって途端に 軽くなり跳ね揚がった アっ・・・と ネムのしなやかさが消え失せた。 「言葉を失う施主、突然強張った表情」 こりゃ~マズぅぃぞ・・・ 「○○さん来年も手入れする為に手入れをするんだったら止めようよ」 「何で落としたの?」 「・・・・・」答えが無い。 その2週間後、○○さんからの断りの伝言。 必ずしも「正・誤」は最初から在るものでは無い。と思う。 ならば落とす理由も、落とさない理由もあるはず。 ハッキリしていることは各々の庭にビジョンがあるということ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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