カテゴリ:近代別荘・別邸史
? 第二の不思議「万松園」の名付け人は誰か
やがて松林の中に和洋折衷の住居が建ち、伊藤博文によって「万松園」と名付けられた。とある「万松園」の名付け人は、伊藤博文なのか? 山口玲子著小説「女優貞奴」第5章 女優開眼文中156頁~157頁、に伊藤博文によって「万松園」と名付けられた。とある果たして真意は如何か。 1902年明治35年10月27日発行の太平洋第3巻43号では、「川上は茅ヶ崎の海岸、砂白く松青き地を卜(ボク)して居を定めた。「萬松園」と名じたのである」とあり、命名したのは音二郎自身である。 ![]() さらに行中には「川上が用事が有って上京しての帰途。汽車の一等室内で伊藤公爵の大磯に帰るのと偶然にも会った。」その後、伊藤お気に入りの箱根環翆楼で音二郎は、伊藤博文に五つの書を乞う。 「「隴畝秋高弧鶴擧」、「松林月上畝龍横」、「萬松園」と揮毫し、揮毫は春畝山人とした。又「萬松園」と大書したのには滄浪閣主人と記された。 ![]() 最後に「芸林隠逸」=「川上逸史屬」=博文の揮毫を乞うた。」とあり、川上が伊藤に「書を乞う」描写は描かれているものの名付けたとは記されていないようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年10月09日 16時07分47秒
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