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2011年10月27日
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カテゴリ:近代別荘・別邸史
水蔭は似た境遇の音二郎に同情し、応援する記事を載せた。音二郎はさらに逃げるように妻の貞奴と洋行したが、大成功して帰朝した。水蔭も1900年明治33年博文館の雑誌『太平洋』の主筆として帰京し、巌谷小波の渡独中は『少年世界』の主筆も兼ねて少年冒険物も多く書いた。片瀬海岸から茅ヶ崎の烏帽子岩に舟で行く『姥島探検記』もこのころのものである。

作者の代表作 
小説家としての水蔭の代表作『女房殺し』は1895年明治28年の作。学生が逗子の茶屋の娘を救い出して結婚する。彼女は軍人になった夫の外遊中に貧窮のために過ちを犯し、帰国した夫が彼女を殺してしまうという筋立てのものであった。『霙』の筋立てと共通する部分もある。

『霙』の背景 
東京で音二郎と再会した水蔭はシェイクスピア『オセロ』の脚本を千円という破格の高値の約束で翻案した。『霙』は神奈川県茅ヶ崎にあった音二郎邸近くの旅館の茅ヶ崎館で脚本の本読みを行った時のエピソードが背景になっている。音二郎や貞奴をモデルとした人物(浜水城・美香子)が登場するほか、女優から永井荷風の妻となり、離縁して日本舞踊の藤蔭流を創始した藤蔭静枝(1880~1966)などが登場する。

『霙』は藤蔭静枝のそれまでの男性遍歴と女優としてデビューする契機を中心に描き、静枝(田鶴子)の水蔭(我)への恋の駆け引きのような思わせぶりな言動、それを受け止める「我」との心理劇が写実的な美文で綴られている。〈洋装せる元禄文学〉と評された硯友社の文体から、写実主義の影響を受けての心理描写を重視する文体への移行が認められる。(「霙」文解説 水沢不二夫)

「女たちの荷風」によると藤陰静江は生誕地新潟、本名内田八重(戸籍ヤイ)。戸籍誕生年は、1880年明治13年生まれ。二十歳過ぎに東京へ出てきて新橋の芸妓となったが、この頃から華麗な男性遍歴が始まっているようだ。力士荒岩、富豪の息子と同棲破綻後新潟へ帰京。

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その後、女優を志し再び上京。川上音二郎一座の一員となった。音二郎一座帰国後、「翻訳劇オセロ」の番付面にデスモナの侍女役、芸名内田静枝として一ヶ月ほど茅ヶ崎の川上一座のもとで稽古をしている。その間、江見水蔭と藤陰静枝の恋愛関係を永井荷風に悟られていた。

これらを前面否定し真相を明らかにするために「霙」「水錆」の二つの恋愛小説が誕生した。問題はこれだけではなく、川上音二郎とも恋愛関係になっていたそうで音二郎妻貞奴に知られたため、静枝は、オセロの興行後川上一座を去ることになる。心なしか茅ヶ崎で撮られた紋付袴姿の二人の間柄が微妙な立ち位置関係に見えるのは私だけだろうか。(「女たちの荷風」松本哉著(まつもとはじめ)) 





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最終更新日  2011年10月27日 12時03分40秒
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