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2011年11月18日
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カテゴリ:近代別荘・別邸史
左 明治29年から42年の地図  右 大正6年から12年の地図
明治29年から42年の地図にはあった道が、大正時代には道が無くなっている。また、萬松園からの道や数本の道が出来きているのが確認できる。また、南口駅は、大正12年大震災後に登場するので明治29から42年の地図では確認できない。
しかも、○印の場所は3万坪におよぶ中村楼が在った場所が明確になった。

今昔マップM29からM42中村楼2.jpg

今昔マップT6からT13中村楼1.jpg
上の地図では、わからないので昭和29年までの地図を同時に載せてみる。
中村楼周辺2-1昭和2-14.JPG

中村楼周辺1-1昭和19-29.JPG
茅ヶ崎市役所の大絵図と登記所の旧土地台帳記録
萬松園の現在、高砂緑地であるこの公園は、実業家であった原安三郎の別荘松籟荘1919年大正8年6月5日の跡地であり、先の所有者川上音二郎・貞奴が所有したとされる萬松園は、1902年明治35年10月22日~11月28日川上定(貞)の名義と幡豆寅之助の名義で購入されている。

旧登記図と旧登記簿1.jpg

萬松園土地台帳1.JPG

この旧土地台帳を見ると当時この川上邸で道が行き止りとなっている。つまり、現在のように鉄砲道へ続く道は、この当時存在していない。最終的に川上貞(定)幡豆寅之助が購入した土地は、次の通り。

音・貞取得総合図2.jpg

音・貞取得総合図1.jpg

この図面でわかるのは、宅地部分が2箇所しかないということ、その他は山林、畑
の地目となっていることが今回はっきりした。

図参照(有)プリムローズ・湘南企画工芸 野崎幸夫製作
(旧登記簿・大絵図・法務局現登記図を重ねた図、青の斜線部分が最終購入地)





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最終更新日  2011年11月19日 21時03分43秒
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