カテゴリ:近代別荘・別邸史
次の画像は、萬松園門前の集合写真。音二郎が居るので所有した明治35年からに雷吉君の戸籍について伊藤里之助に書簡を送った明治43年までの間、約8年間のなかでの集合写真。この集合写真はいったい何処で撮られたものだろう。この画像の左側にシイノキが植えられている。
もし、原安三郎の土地購入後作庭時にこのシイノキが移植されていなけれ・・・ 次の画像は、現在の元正門の画像である。大胆にも合成してみる。もし、この建物が既存にあったとすれば音二郎一行が帰国し、建造中の建造物はどの様な建造物だったのか? 8月21日に帰国、翌月9月28日から10月22日の登記。この間2ヶ月。しかも10月3日には江見水蔭との打ち合わせを果たしている。 それは、建造中であったがためにオセロの稽古や読み合わせを人寄せのできる茅ヶ崎館、稽古の出来る中村楼になったのだろうか? 萬松園は、和洋折衷と聞いている。気になる画像は、夏服でくつろぐ和室前、縁の下飾りを見ると造りは和のようだ。もう一つは、紋付袴正装でショールを持っている鉄製の門扉前。この背後に和洋折衷の建物があったのだろうか。季節は冬だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年03月10日 10時21分53秒
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