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2ヶ月に1回のペースで行く京都は、来月にも予定が入っている。今回は、いつも気になっている京都の刃物店です。創業年と植木鋏について調べてみました。
京都の老舗創業番付、京都で戦前というとそれは「応仁の乱の前のことである」ってどこかに書いてあった。重春刃物店 鎌倉時代(1190~1329)なんと822年前です。おそらく戦に付き物なので現代まで続いたのでしょう。 常久刃物は、創業が寛永8年1631年創業から368年包丁や花鋏を扱っている。 ここは、営業時間が短く不覚にも訪問出来ず。しかも1階にあった店舗が3階に移転していました。 金高刃物は、寛永末期に日本剃刀の鍛冶屋を開業し、屋号は「藤原金高」と言いました。江戸末期より、六角堂前に店を移し今に至ります。「刀鍛冶として始まって200年来、それぞれの時代のニーズに合わせて刃物を作ってきた。残念ですがここは休日で見ることが出来ませんでした。寛永末期(1643年) 続いて安重、創業元禄13年(1700)京都の二条城の周辺には当時、刀鍛冶が多く軒を並べていたようです。安重はその中の一件で、後年花鋏や包丁等も作るようになったという。 意外にも京都人ではなかった菊一文字、大阪堺の鉄砲鍛冶で1813~1837 文化13 ~天保 8 年に始まり1886~1943 明治19 ~昭和17年堺宿屋町より京都市下京区四条御旅町に転移、つまり菊一文字は元来堺の鉄砲鍛冶出身で京都の中では新参者であることがわかった。 つまり1826年から1876年を案分しても150年前には、本格的な花鋏や植木鋏の製造や販売が始まったと想像できる。老舗であった安重刃物店では包丁等は元刀鍛冶が槌を振り、植木鋏は大阪堺から入手するようになったのかもしれない。また、重春のように直接槌を振り植木鋏製作していたことも考えられる。 いずれにしても京都内でその後、農具製造していた野鍛冶が追随して発生し口清・正隆などの京鋏が出来上がったのではないだろうか。京鋏の特徴は最初からガタつきがあることその為、座金は堺産と異なり丸鋼でつくられた。口清・正隆が開発された年代はいまだ不明、その後の「重春」「大覚寺」「安広」へと継続された。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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