362927 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【お気に入りブログ登録】 【ログイン】

ガーデンデザイナーのブログ

全53件 (53件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 >

愛鋏 植木鋏

2012年03月03日
XML
カテゴリ:愛鋏 植木鋏
2月10日、再び京都入り。


皇居にはない、御所透かしが御苑透かしであることが解ったので再び御所閑院宮へ



今回の京都入りは、京都御苑内閑院宮の展示された鋏を確認するのが目的。前年、ネットで競り落とした鋏が何処のものかまた、閑院宮に展示された鋏が何処のものなのかが調査目的。



それでは、閑院宮の展示と「御所すかし」です。全体からは、チョキ鎌や鋸で枝を抜いています。


zakのブログ zakのブログ zakのブログ zakのブログ

関東で言う枝透かしもしくは野透かしになるでしょうか。

続いては、小透かしです。


zakのブログ zakのブログ zakのブログ

こちら御所の手入れでは、芽3本のうち真ん中を抜き、魚の尾のようになるのを嫌うと聞いたことがあります。


なので、チョキ(親指と人指し指)のかたちにするのが基本と聞いています。


閑院宮展示品です。


zakのブログ


1741年から1997年256年の松です。



256年間この松は、様々な出来事を見てきています。



zakのブログ zakのブログ zakのブログ zakのブログ

手入れの手法が説明されています。チョキ鎌については、少々強引な絵になっていますがかなり勢い良く突き戻しをしています。


zakのブログ zakのブログ

ツル手とキリバシです。刻印がいまひとつ読めません。キリバシの説明は、根きり鋏として使われていると説明書きされています。



さて、この閑院宮の鋏は、いったい何処で打たれた鋏でしょうか?それではまず、植木鋏研究会のBさんの情報から修学院、知恩院、安広の画像があるので現況下での比較基準としてみた。つづいて京都菊一文字から現在販売されている京型といわれる鋏3丁の画像を参照した。



その前に、この業界の流通がどの様になっているかを整理してみよう。わたしたちが植木鋏を購入するときは、どこで購入するであろう。通常、金物屋もしくは刃物店で購入する。昨今では、インターネットやホームセンターで購入する機会が増えている。それでは、金物屋もしくは刃物店で扱う道具は、如何にして流通されているかご説明しよう。



流通経路は、製造者・刃物問屋・刃物専門店・消費者へと一般的な流通がなされる。小売店である名の通った金物店は、気に入った製造者がいると製品補償同時に独自のブランドを創り上げるために心血を注いだ。製造者とのパイプのないところは仲買人卸が一括してその役を担う。こうして全国の名の通った金物店に○○型の鋏に独自のブランド銘(刻印)が打たれて流通していった。しかし、いつしか小売店の販売システムが崩れホームセンター等で販売されるようになると誰にでも合う安価な植木鋏も流通されていく。



従来の販売システムを固持した専門店は、製造販売ないし刃物専門店として現在でも存在している立派なシステムだ。製造者が数少なくてもそれぞれ自信をもった専門店によって細かな注文に応じてオーダーされ刃物専門店の刻印が刻まれ消費者の手にわたる。これから調査していく植木鋏のなかには、京型という京鋏も存在し地域性にこだわり実際に京都で打たれた物ではない鋏であるかもしれないことも考慮して調査していきたい。わかり易くいうと多少の違いは致し方ないと判断する。



1、例えば座金の形状「菊座」といわれる部分

2、刃部分の形状は、代が代わることで若干の相違が出てくる



植木鋏研究会のBさんの情報から修学院、知恩院、安広の画像と菊一文字京型といわれる鋏3丁の画像を見ていただきたい。それでは、鋏の名称を認識しながら特徴的な部分を示そう。


次回へつづく







最終更新日  2012年03月03日 08時09分08秒
コメント(0) | コメントを書く
2012年01月17日
カテゴリ:愛鋏 植木鋏
2011年4月、いつもは行かない場所であった京都御苑、修学旅行からおよそ38年ぶりの御苑。38年前の記憶はただ広く、時代のターニングポイントであった程度の見識しかない。その年の11月再び京都へ、今回は打ち鎌の調査も兼ねて成瀬金物「カネブン」の打ち鎌と現当主大隈刃物のキリバシを求めて訪れた。

DSC07651.JPG

その際、御所にある松の手入れに興味を抱いた。2010年秋、修学院離宮・野村碧雲荘を見学、碧雲荘は約7千坪に及ぶ庭園だ。そして京都御苑、苑内の広さつまりスケールは、910000平方メートル、27万坪およぶ苑内にあるアカマツやクロマツの樹形に順ずる管理状況が気になっていた。およそ100年を超える樹形への手入れがどのようにして行われているのか興味深いものがある。

池4.JPG

「国民公園」京都御苑の個性と松の「御所透かし」(平成13年度 日本造園学会研究発表論文集(19)) 別タイトル The Characteristics of the Kyoto-Gyoen "National Garden" and "Gosho-sukashi" Pine-Pruning there(PAPERS OF THE 19th SCIENTIFIC RESEARCH MEETING)

作成者(著者) 井原 縁 別作成者(著者) IHARA Yukari 公開者 社団法人日本造園学会 別公開者 The Japanese Institute of Landscape Architecture 正式発行日(W3CDTF形式) 2001-03-30 内容記述 所属名 : 京都大学大学院農学研究科

学会研究発表論文概要によれば
現在の「国民公園」京都御苑では、御苑造成時から共存している「皇室苑地」と「公園的利用の場」という2側面に基づく二律背反的な要素が多数共存しており、この内包する要素の多様性こそが個性といえる。

本研究では、まずその個性が形成された京都御苑の歴史的経緯を辿り、その後、「御所透かし」という特殊な技法が、その個性を守っていくうえで非常に重要な要素のひとつであることを考察する。

「御所透かし」は、皇室苑地」という側面に付与される要素であると共に「公園的利用の場」という側面にも寄与する要素であり、時代を経て継承されてきた重要な文化財的要素であると共に松の手入れという景観構成要素でもあるからである。とあ。

内容は、
序説に「国民公園」定義域が説かれ京都御苑「国民公園」の区画資質、京都御苑となる歴史背景と明治2年の東京遷都、その後の第二次大戦前と戦後までの間に明治11年「大内保存」の号令のもと整備され続いて「即位大礼」をもって大正2年から3年の大改修によって苑内植栽の充実を図った。その後、明治10年~16年にかけ「大内保存」事業が布かれ明治17年には葵祭りが復活した。当時は、景観よりも火災延焼による防火植林に重点が置かれたようだ。

苑内65haには、クロマツ約2600本、アカマツ1000本がある。これらの松は、この地独特の自然の形のままで手入れされる「御所透かし」という手法が取り入れられている。
この論文を読むだけでは具体的な技法が浮かび上がらない。また、京都という地域性特徴がつよいので「御所透かし」他に「寺透かし」や「町屋透かし」ことばがあると紹介されている。京都という地域での管理単位表現として捉えたい。
「御所透かし」
比較的厚く仕上げて広い空間にメリハリをつけ、樹木の存在感をだす自然風仕上げが要求される。
「寺透かし」詳細表現はない。
「町屋透かし」樹形の刈込みをはっきりと見せ、目の近さに耐えうるきめの細かさが要求される。
これらは、昭和10年からこの御所に出入りしている小島造園によると「小枝の先が止まっていない、のびのびした枝ぶりの自然樹形に近い形に仕上げる技法であると小島佐一の弁であると記している。具体的な道具が描かれていないのでどのような手入れなのか想像しがたい。

同じく国民公園の東京皇居前広場には、約2000本のクロマツが東京湾に浮かぶ小島に見立てた島々に植えられている。皇居の深い森と対照的に、開放的でしかも荘厳な雰囲気の 国民公園・皇居外苑の景観となっている。明治21年の「皇居御造営」完成後のクロマツなどの植栽整備事業が行われ、その後の整備を経て今日のような美しいクロマツ群ができ上がった。しかし、ここでは京都御所にみられるような「御所透かし」のような名称や管理方法はない。

皇居松1.JPG

皇居松接写.JPG

東京遷都後、公家屋敷を形成していた京都御所周辺は大量の空き家の町となり荒廃した。この状況を嘆いた天皇は、明治10年(1877年)御所の保存を命じ、京都府が火災延焼を防ぐため御所周辺の空き家となった公家屋敷を撤去して整備したのが京都御苑の始まり。昭和24年(1949年)には国民公園として広く開放された。現在は京都御所、仙洞御所、京都大宮御所の築地内は宮内庁、2005年4月に開館した京都迎賓館は内閣府が、それ以外は環境省が管理している。

御苑内の閑院宮の展示品に管理道具「木鋏、両手、」が展示されているという。何故そこに展示されているかも含めてふたたび御所に訪れ確認したいと思う。いずれにしても1869年(明治2年)に東京遷都され143年が過ぎ、1935年(昭和10年)小島佐一が御所の管理を行ってから77年が経っている。






最終更新日  2012年01月17日 09時45分44秒
コメント(5) | コメントを書く
2011年12月17日
カテゴリ:愛鋏 植木鋏
打ち鎌

打ち鎌、もしくは薙ぎ鎌(ナギガマ)と呼ばれている。これに近いものでチョキ鎌がある。共に京都で使われる道具だ。チョキ鎌は、押し引きで切断する。コツは、ビリヤードの球を打つように勢いが必要。切り口は綺麗とは言いがたいが幹乗りの手入れであれば長柄鋸で挽くより押し打つほうが効率がよいかもしれない。

カネブンのチョキカマ.jpg

薙ぎ鎌(ナギガマ)とは、コトバンクによると農具から発展した武器のようだ。
1 物を薙ぎ切るための鎌。ないがま。
2 鎌に長柄をつけたもので、人馬の足などを薙ぎ払うための武器。
ないがま。
式年薙鎌打ち神事長野県指定無形民俗文化財式年薙鎌打ち神事 薙鎌を打ち込み風雨鎮護国土の平安を祈願する神事のものを示す。

http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/suwasya/sakai.htm

打ち鎌は、植藤(佐野藤右衛門)が修学院離宮の大刈込みに使う道具の一つ。カネブンさんから伺った話しによると島根県出雲の築地松の手入れにも使われているという道具だ。刈込み速度に比べ約3倍の速さで整枝できるといわれている。

薙鎌1.jpg
薙鎌2.jpg

12年ほど前、1999年島根県環境生活部景観自然課に直接伺った時は、ほとんどは長柄の鎌を使っているが、職人さんの中には日本刀(軍刀の残欠)を使っているという説明を得た。いまから12年前の話なので管理する築地松や職人がどのくらい残っているのやら。おそらく築地松に使う物は刃がもう少し厚いもので仕上げ用なのかもしれない。「陰手刈り」と書いてノウテコリという。

築地松2.jpg

築地松道具1.jpg

長柄鎌総合1.jpg

築地松についてはこちらへ(財)日本緑化センター
http://www.jpgreen.or.jp/agrinet/200802/index.html
修学院離宮大刈込の画像についてはこちらへ
「朝日ににほう山桜さんブログより」

http://mongoose2429.jugem.jp/?eid=30






最終更新日  2011年12月17日 07時36分54秒
コメント(0) | コメントを書く
2011年08月11日
カテゴリ:愛鋏 植木鋏
私は至急性のない本は、新刊を購入していないので古本を購入することにしている。なので雑誌『庭』は、タイムリーな情報が入ってこない。NO198号は、庭師道具「剪定鋏」であった。剪定鋏のA型(鋳物)B型(鍛造)の違いは、以前からわかっていますね。

もう少し、剪定鋏についての歴史が知りたかったですね。手鋏については200年、剪定鋏については凡そ150年の歴史でしょうか。情報が少ないせいか調査不足を感じてしまいました。

その昔、根切りとして販売されていたものが最近になって葉刈り用の剪定型としてツルが付いて販売されている。ここ、4・5年のことかと思う。根切り用の鋏を使っていたらもっと昔から使われていたと思われ、岡恒という鋳物の鋏が出来て以来、これはかなり革新的な形状だといえます。

小野義.jpg

残念だったのが国治の鋏、やはりお華鋏でした。立派なお華鋏です。箱書きも国治作園芸鋏と書いてあり植木鋏とは書いていません。販売店が勝手に植木鋏と書き、それが好いと思いそれを購入してしまっただけの事、クドクドいいません。実用的な鋏でないことがよく判りました。

安広・佐助・岡恒と国治ブログ画.jpg






最終更新日  2011年08月11日 08時11分09秒
コメント(4) | コメントを書く
2011年07月23日
カテゴリ:愛鋏 植木鋏
剪定鋏
剪定鋏の歴史をひも解く前に、剪定鋏がどうやって日本に入って来たかを考証してみよう。まず、本格的な農産物生産の取り組み方針のうえ、リンゴとブドウ生産が官設農場としてこの日本にもたらされた。

その際、海外から専門家を招致し、技術習得のため留学が交わされ、海外の剪定鋏がモデルとして国内生産に引き継がれてきた。

剪定鋏の特徴は、2種類ある。一つは、ドイツSOLIGEN(ゾリンゲン)型、これは、リンゴ栽培導入時、ドイツ人技師の招致から鋏も影響された可能性もある。

ゾリンゲン.jpg

リンゴが日本に渡来したのは、平安時代中期(900年頃)とされ、野生種であったという。食用リンゴが普及したのは、アメリカから75品種を輸入、苗木を全国に配布した明治4年(1871年)以降。その後市場に出ているのは30品種。

初栽培は青森と思われがちだが、北海道函館市に隣接する小さな町七重村(現:七飯町)が初栽培の地。明治元年にドイツ人の農業指導者R.ガルトネルが “七重村農場”を開設、翌年(明治2年)には母国から取り寄せた苗木を植え付けた。


これこそが日本における最初の栽培といわれています。
リンゴに関してhttp://www.ringomuseum.com/

工藤農園ならびに「薬師堂国定」三国剪定鋏製作所のネットでは、このように紹介されている。はじめて剪定鋏が売り出されたのは明治35年(1902年)で、三遠農学社がフランスの園用鋏をもとに作ったものとされている。

「薬師堂国定」三国剪定鋏製作所http://www2.ocn.ne.jp/~mikuni/
工藤農園http://kudofarm.el2.jp/feature/apple/tools/001/より

三國定吉120年前hasami1.gif

だとすればワインづくりの際、ブドウ栽培の技術習得よりフランス留学によって影響された鋏の可能性が高い。しかし、フランスに老舗の鋏メーカーが見当たらない。フランス周辺だとドイツ、イギリスからフランスに渡ったのであろうか。

それともバルト海沿岸工業国スェーデン鋼を産出している関係上スェーデンからフランスに渡来したものなのだろうか。

これらに比べるとスイスFELCO(フェルコ)の剪定鋏は1945年製造なので、比較的新しいので除外するとイギリスかドイツになる。スエーデンBAHCO(バーコ)社は、130年以上の歴史がある会社で1888年に創立されている。

工具でおなじみのモンキーレンチを発明し特許を取得した会社であるがフランスとの地理的な距離をみるとすぐにフランスに渡ったとは思えない。

バルト海沿岸map.JPG

やはり、フランスに隣接するドイツからの流入経路と考えることが自然であろう。となると同じドイツからゾーリンゲン型とヘンケルス型が日本にもたらされた。イギリス、スイス、スェーデンの剪定鋏の多くは、ヘンケルス型の形状は共通点を見る。ちなみに岡恒の剪定鋏は、ヘンケル型。

ヘンケル型 剪定鋏(プルーマン)
プルーマン剪定鋏.JPG

ゾーリンゲンとは、日本でいうと「大阪堺の刃物」というように地名を示し、ヘンケルスは、堺の「佐助」というように突出したメーカーといった関係になる。つまり、ゾーリンゲンは、普及版という捉え方になるのだろうか。

「薬師堂国定」(三国剪定鋏製作所、南津軽郡大鰐町)http://www2.ocn.ne.jp/~mikuni/history.html

この薬師堂初代三國定吉の剪定鋏をみるとゾーリンゲン型であったといえる。

もう一つ忘れてはならないのがバラ栽培であろう。バラ栽培に付き物なのがバラの剪定である。このバラの剪定に使われた剪定鋏が一体どの様な鋏であったのか。当時、鋏の書として数少ない書物である昭和62年発行の「鋏読本」にも記されていない。






最終更新日  2011年07月24日 14時57分00秒
コメント(3) | コメントを書く
2011年07月18日
カテゴリ:愛鋏 植木鋏
花屋鋏とキリバシ
花屋鋏とキリバシは、ほぼ形状が同じであるが目的が異なる。キリバシの足先は、花屋鋏より少々肉薄になっている。画像左は、先代の大隈製キリバシ、右側ズンギリの花屋鋏。

キリバシと花屋鋏ブログ用.jpg

それでは、キリバシにツル手が無いことの利点は何か?大隅氏の三つ折パンフレットにはキリバシの名称が根切りとなっている。これは掘り取り作業時、狭いところの根切り、余分な土を落とし整形する道具となる。



また、移植時に根を巻くときの縄掛けにこのキリバシが都合よかったのだと思われる。通常の鋏では、ツル手巾があり縄通しがしにくい。その他、竹垣の雨直し(竹垣の縦入り)、クリ針通し時の挿し込み、そして枝抜きと鋏一つでこれだけの働きがあり、万能鋏といえる。

3京都1984-05-16坪田.JPG

花屋鋏刻印.JPG

左 先代大隈製のキリバシ全景と「京」の刻印 右 天地之心花屋鋏

画像大隈製キリバシ、

花屋鋏は、ズンギリの別名も持つ。足先は、ワラビの形ではなく「ずんぎり」になっているのが特徴であり、用途は花茎の切断が目的なので打ち当る部分は焼きが甘い。

酷使すると足部分が変形し、刃先が開くようになる。花屋鋏の中にも8寸245ミリの花屋鋏の足の太さは9ミリ、先ず変形することはない。7寸210ミリの花屋鋏は、足部分に焼きが入っているので実践向きだ。

左からズンギリの花屋鋏。225、245、215、200ミリ

花屋鋏200ミリ~255ミリ.JPG

255ミリ170ミリペン.JPG
225ミリ
240ミリ170ミリペン.JPG
245ミリ
215ミリ170ミリペン.JPG
215ミリ
200ミリ170ミリペン.JPG
200ミリ






最終更新日  2011年07月18日 12時01分28秒
コメント(0) | コメントを書く
2011年07月12日
カテゴリ:愛鋏 植木鋏
手入れの対象物によって鋏の形状が異なるとすれば顕著に異なるキリバシは、どの様な道具として訴求されたのだろうか。キリバシの原型ははり華道鋏。だが、刃の部分を良く見ていただこう。華鋏の刃先を揃えるよう意識しているため軸中心から10度ほど斜めになる。

京キリバシ3-1.JPG

それは、華鋏なので使用頻度が低いために正当化されている。かたやキリバシは、どうであろう。通常手入れでの開閉頻度は、華鋏の比ではない。先端のアワセリ「合う競り(アワセリもしくはアセリ)」が大きく、刃は軸に対して垂直に出来ている。また全長が華鋏に比べ1.25倍あり、せん断能力が高まる要素といえる。キリバシの特長で忘れてならないのは、打ち当り部分まで焼が入っていること。

金高華道鋏2-1.JPG

キリバシが華道鋏から進化したものとすれば次は握り手を支えるツル足が付いたことも進化の現われかと思う。なを、華道鋏池坊の足部分をワラビ手植木屋鋏の足をツル手という。

岡恒華道鋏1.jpg

当時、南蛮といわれた鋏の原型は、中国の鋏がモデルであれば華鋏と中国の鋏、もしくは、種子島鋏の影響か、いずれにしてもツル手や指輪が付いた進化説も考えられる。






最終更新日  2011年07月22日 08時03分59秒
コメント(1) | コメントを書く
2011年06月25日
カテゴリ:愛鋏 植木鋏
植木鋏

建築資料社から当時発行された1982年-9「庭」別冊27号に紹介された京鋏大覚寺の鋏がツル手であるのに「ワラビ手」と紹介され、大隅氏がいるにもかかわらず鋏鍛冶が大覚寺だけのような紹介をされている。京都は庭園文化の代名詞ではあるが程近い大阪には既に刃物の堺の存在があり、兵庫には播州三木がある。

現在既知である京鋏「大覚寺」「安広」以前に1960年代まで現存していたという「口清」、しかも京鋏を開発した鋏鍛冶が居た事を私たちは忘れてはならない。

1970年代後半から80年代当時の事なので情報の不備は否めない。しかしあれから30年が経った現在では、当事者も現存しない状況もあり正確な記録を出来るだけ速やかに記録することが急務といえる。

植木鋏の定義とは何だろうか。樹木の枝葉や植物のスケール、地域の手入れの方法によってその形状が異なることは当然のこと。鋏の形状は、大きく分けて6タイプに分けられる。

上左から京鋏、津島鋏、左下部分堺市松鋏、堺佐助、大久保鋏、キリバシ。

鋏の形状1.JPG






最終更新日  2011年06月25日 22時28分20秒
コメント(0) | コメントを書く
2011年06月17日
カテゴリ:愛鋏 植木鋏
盆栽鋏

1978年昭和53年7月1日建築資料社発行の『目でみる植木バサミのすべて』は、今から33年前に発行されたこの書籍、監修が加藤園芸刃物、川澄昌国、木屋のアドバイスであり、どちらかというと関西の鋏が紹介されていないので全国的にみてもかなりバランスがわるい。しかも鋏足部分がワラビ手と記されている。ワラビ手、ツル手の判断が曖昧で誤りがある。

目で見る植木バサミ.jpg

『目でみる植木バサミのすべて』は、木鋏と盆栽鋏の違いを次ぎの様に説明している。「大久保鋏型のような標準タイプと盆栽ハサミの違いはどこにあるかといいますと、上の写真のように刃とワラビ手の部分のつくりなのです。」このなかでワラビ手(ツル手)が木バサミと盆栽ハサミに比べて肩が下がっていることと説明されている。

この理論だとすでにワラビ手(ツル手)が津島型のような形であった場合、津島型の鋏が盆栽ハサミになってしまう。いったい何を根拠にこの違いを提示されたのか、この当時の情報収集や監修に少々偏りがあることがわかる。
盆栽道具には、夫々の場面で道具の使い方がある。理論的に盆栽ハサミは、木鋏に比べて大きな鋏でなくともよい。肩から下がっていることで刃先に近い指が邪魔にならない形になるのは必然的に理解できる。






最終更新日  2011年06月17日 13時56分48秒
コメント(0) | コメントを書く
2011年05月31日
カテゴリ:愛鋏 植木鋏
鋏のかたち
植物に対する鋏の種類には華鋏、盆栽鋏、植木鋏がある。基本的に華鋏とはどの様な形状なのだろうか。代表的な華鋏は、池坊鋏がある。池坊鋏、未生流の特徴的な部分は、作用点となる部分の末端がくるりと巻いたワラビ手。松月堂鋏の様に指が入る指輪タイプ。古流のようにツル手タイプがある。

1、 池坊鋏、未生流の特徴は、ワラビ手
2、 松月堂鋏は、指輪
3、 古流鋏は、ツル手
4、 その他、花屋鋏ズンギリ

 画像は、京都老舗の池坊鋏。この華鋏の特徴が盆栽鋏、植木鋏と大きく違う処は足先だけではなく、刃の部分が異なる。刃の先端が合わさる部分をアワセリ(合わ競り)というが華鋏の場合、この老舗では、ぴたりと合っていないと評価されない。らしい(老舗談)。

大隈鋏と金高鋏1解説.JPG

先代の京都大隈安広氏は、華道に精通した方だと聞いている。そこで植木鋏のように華鋏の先端部分アワセリが浅いのは何故なのか伺ってみた。それは、使われる頻度が違うということ。大隈氏で購入された裏隙華道鋏は、先ず修理や砥ぎには戻ってこないという。それだけ植木鋏と比べ使用頻度が低いことがわかる。






最終更新日  2012年03月10日 10時25分09秒
コメント(7) | コメントを書く
このブログでよく読まれている記事

全53件 (53件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 >

PR

カテゴリ

バックナンバー

2018年08月
2018年07月
2018年06月
2018年05月
2018年04月

日記/記事の投稿

コメント新着

ZAK@ Re[1]:本歌「津島鋏」探索、本当の津島鋏を探すぞ!!(12/19) 村井 吉博さん >私は、引退しましたが、…
まるけん@ もうブログやめてしまったぬでしょうか? 大変興味深く、拝見させていただいていま…
Hal SOWA Ph.D.@ Re:ひとはなぜニワをつくるのか(06/15) どうもこんにちは。 とても色々なことを考…
石渡と申します。@ お返事ありがとうございます。 こちらこそ、お返事遅くなりまして…。 9月…
管理人 ZAKです@ Re[1]:岡恒にB型の無い理由(02/15) ななしさん >今更ですが国治のが165ミリ…

お気に入りブログ

玉川造園・庭師の風… yamituki64さん
香り&ハーブ・アー… ハーブクマさん
岐阜・愛知・滋賀で… hirokun0204さん
バカボンのお庭 バカボンのお庭1077さん
佐賀の植木屋みどり… みどり活動さん

ニューストピックス

カレンダー

プロフィール


nek1113

キーワードサーチ

▼キーワード検索


Copyright (c) 1997-2018 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.