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直腸がん マーガレットのスローライフ

直腸がん マーガレットのスローライフ

直腸がん日記 2001年 YUKAのホームページ

直腸がん日記。

入院になるまで、 入院から退院まで

☆☆☆おことわり☆☆☆ 
当サイトの写真・文章の無断引用・転載は厳禁です。

2001年8月に直腸ガンがわかって、
2001年8月21日に入院、

9月3日に手術しました。
<発見!>
1999年秋頃から、
便に血が少しついている事に気づき、
病院で注腸造影検査を受けるが、
発見されることはなかった。
一時安心しましたが、
念の為しばらく自分で便の観察をしていると、
どうも毎日、血のすじがあるような・・・。
又、2000年にはいってすぐまた検査を受けたが発見されない。
2001年7月の終わりに大量の出血があり、
今度は大腸ファイバースコープ(内視鏡)検査を受け発見される。
(内視鏡の検査も終わりに近づいた頃、、
検査の先生が、
「これじゃー病名もつかないよ」と言ったと思ったら
「ん?」「うわー」
「外科の先生呼んできて~」・・・・・。)

ここから、私のガン誕生ストーリーのはじまりなのだ。


検査後、医師に診察を受け
「がん」と言う言葉はなかったものの
ガンである事はすぐ察しがついた。
驚きはしたけれど、そのときは比較的冷静だった。
というより、何も考えていなかった。
その後、直腸は難しい手術
(肛門括約筋温存手術)の低位前方切除術。
直腸を切除して、
骨盤の中で腸を吻合(縫い合わせる)手術。
この手術は狭い骨盤内で行われる為、
高度なテクニックを要する)だと言う事、
手術後のケアー
(抗がん剤治療や放射線治療になった時の事を考える)
又もしも・・・のときの事
「あの病院で手術していれば・・・」
と後悔の無いようになど、
いろいろな事を考えて、
大学病院で手術する事になりました。


検査でガンとわかって入院までは、
ガンに関する情報をインターネットで調べたりしていた。
直腸ガンなので、
もしかすると人工肛門になるかもしれない為、
ストーマの事も調べたりする。
そして、大学病院に2週間ベッド待ち後、入院。
一通りの検査を受ける。
中学2年の時
(アデノイドと扁桃腺の手術)以来の入院だ。

お部屋は、6人部屋で、おばさんばかり・・・。
そして私のお部屋の人は、乳癌の人が多かった。
しばらく入院していると、新しい人が入ってきて、
「おっ、同じぐらいの年!」と思ったら、
ヘルニアだった。 同じガン仲間ではなかった。

術後1日目から、車椅子でレントゲン室まで行く。
「動け、動け」、「歩け、歩け」
動いたら癒着がふせげるし、治りも早いから、
とにかく動きなさいという事らしい。

術後6日目、痛み止めのせいか、
お腹、背中、股のあたり、
足に湿疹ができてかゆい~・・・。
夜になると、今度は急に吐き気におそわれ、
夜通し吐きつづける。夜中に吐き気止めの点滴、
筋肉注射3本をうってもらうが効き目なし、
吐きすぎてぐったりする。
次の日の朝から検査をして、
腸閉塞であることがわかり、
夕方から緊急手術をすることになる。
抜糸が半分終わったところで、
また開腹することに・・・。
とほほ・・・。

手術後気がつけば、また鼻から胃までのチューブが・・・。
傷口よりもこちらの方が苦しい。
主治医の先生は、
なかなかチューブをとってくれそうになかったので、
このままではまた
1晩苦しい思いをするーっと思っている所に教授が来てくれた。
「もしかしたらぬいてくれるかも♪」と思って、
頼んだらぬいてくれた。
教授が神様、仏様にみえたよ~。(^○^)
そのうち、
傷も今回は硬膜麻酔が緊急手術だったのでできず痛い。
「苦しい、痛い、かゆい」で最悪!!

そして、術後16日目、今度はガスがたまり、
普通食になっていたのに、また点滴だけになる。
普通食になった頃に具合が悪くなり、
点滴ーおもゆーおかゆを繰りかえしてきたので、
おもゆ、おかゆは見るのも嫌になった。

私のガンについて

肛門から7cmの所に腫瘍ができた。
腫瘍の大きさー33mm 深さー筋肉に達する
細胞検査の結果   
デュークスC、ステージ3期、リンパ節転移あり
進行癌
リンパ腺第1群
大腸がんの組織 中分化型


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