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ハミング。

ハミング。

パンドラの箱

398 :長文失礼:2008/12/13(土) 21:26:30 ID:VRu1qbBrO
>>394
返答ありがとうございます。なるほど。
私の見解としては黙示録の海の獣の記述から直接には干渉せず
人間に恐怖を刷り込み自滅を誘ってると考えていました。
あなたの意見も参考にさせて頂きます。
300人委員会の牧場計画はあくまでも人間の上層部のみで働きかけをすると
思っていましたので、従来とは違う外部からの侵略であればその衝撃度から言って
庶民は歓喜のうちに取り込まれるでしょうね。

もしあなたの周知しようとしている事が他力からの脱却だとしたら
時間は無いですね。なんせ「アミ 小さな宇宙人」も「天使的宇宙人との
コンタクト」も 聖書的な携挙を想起させるものであり、
アセンションを期待してる人は
その罠に嬉々として歓迎する心持ちで居るでしょうから。

私もよく見る例のアセスレの書き込みを見ましたが
あなたの説はヌース理論で有名な半田さんの話に似ていますね。
電気が使えなくなると言う点など。

またキリスト再臨の話もよく出て来ますが、
私は外部的に目える形での再臨は無いと思ってます。
もしイエスの再臨があるとしたらそれこそ本格的に
依存の支配が始まります。イエスを目の前にしたら
ショックを受けない人はそう多くないでしょうから。
でも様々なサイトでヒントが小出しにされてますね。
彼とルシファーが双子だと言うところなど。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

403 :追記:2008/12/13(土) 21:51:49 ID:VRu1qbBrO
>>394
自分はクリスチャンでは無いのですが、聖書は真理以外に、
逆に真理から遠ざける矛盾点などが散りばめられていて、
その騙しを見つけると言う意味で逆に勉強にはなりました。
善悪を知る木の実を食べてはいけないと言う言葉は
二元性からの脱却を意味していても
「産めよ、増やせよ」と世界に二元を作る事を推進してる点など。
決定的だったのはイエスが最後に弱音に近い言葉を漏らした点。
これはイエスが神に対し何かを期待していた状態であり、
イエス自身さえも神に依存していた。
その依存とは何か=恐れ=人は対になる像を見つける。
イエスは神を見た時点でそこにサタンを見ていた。

こう結論づけました。
それでこれからどういう流れがいいかを考えました。
神を見たイエスの考え方から空を見たブッダに遡ること。
唯我独尊、これがこれからの結論です。

417 :本当にあった怖い名無し:2008/12/13(土) 22:43:10 ID:VRu1qbBrO
自分はその時はピンと来なかったのですが、以前潜在意識から
ある漫画を読むように勧められました。
もし>>394さんの危惧している事象があるとすれば内容は酷似しています。
それはデビルマンです。もしかしたら永井豪も
潜在意識から監視している宇宙の意識を読み取っていたのかもしれません。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

429 :本当にあった怖い名無し:2008/12/14(日) 00:34:53 ID:SxdvueX4O
>>425 426
どうも。 出来ればコテハンをつけて頂けるとありがたいです。
(レス先間違いを防ぐため)
イエスからブッダと書いたのは少し語弊がありました。
特に仏教を推進しようとしてる訳では無いですが
これから誰の考え方を参考にしたらいいのか、という意味での引用です。
外部に依存しないよう唯我独尊と書きました。
自分勝手になれと言う意味ではないです。
イエス関連でもACIMのように仏教に歩み寄った解釈が
広まってきていますが 個人的には空の概念がより純粋だと感じています。

漫画の紹介ありがとうございます。面白そうなタイトルですね。
そういえば結構有名なサイトで「良い宇宙人 悪い宇宙人」では
サタンにとって人間の恐怖はご馳走だ。的な表現があり、
やはり同じ事を感じている人は居るのだなァとしみじみしました。
あそこはオカルト板ではネタ的に扱われていますが自分的には
人間の内在する恐怖と嗜好をサタンとして上手く現してると思っています。
自分は存在としてどちらかに別れた存在と言うより人間もサタンも
鏡だと思ってます。
どちらが上下としてあると言うより、人間が恐怖を捨て去ったとき、
サタンはその宇宙的規模の集合意識的存在を消す!と思ってます。
そのとき人間ははじめて対を対とは見ないとも。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

442 :本当にあった怖い名無し:2008/12/14(日) 12:50:24 ID:SxdvueX4O
>>440
各々自分で禁欲と言うより神から「禁じた」方が人間にとってマイナスの
効果は大きかったからだと思う。そうすればより罪悪感を増し、より快楽だと
意識せざる得ないから。その感情の流れ方がサタンの狙い。本当は敢えて
神の命令として禁じなくても人には霊としての愛が格納されているから
調整できるだったはずなのに敢えて「禁じる」事で恐れと畏敬を植え付けた。
人間が旧約の時点でその上下関係のスタイルを受け入れちゃったからね。
今2012までその仕切り直しが出来るだろうかって言うとこかなぁ。。

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◆◆◆◆↑442のこれは創世記でイブが善悪を知る木の実を食べた時から
決まっていたこと・・自分で決めた善悪に自分で恐れているということ。
◆◆◆◆禁じる神を自分で作って。初めのサタンの声もイブの都合なので。
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492 :本当にあった怖い名無し:2008/12/15(月) 01:34:50 ID:svpgCKWhO
>>471 377さん。
私は基本はアセンション懐疑派で仮説として携挙を装った支配が
予定に入っているならその時までに「外に答えや神」を見つけようとする依存を
なるべく無くしてゆこうと言うスタンスです。つまりアセンションと言う目標も無い。
377さんが唱えるアセンションはその現象に「期待」をかけています。
そのビジョンも依存です。私は不況であっても平易な日々が続くと思っています。
私が留意してるのは外部に誰かが登場した時、注意して欲しい事。
またそれが良いと思われる存在、芳しくないと思われる存在の
いずれであっても傾倒する事は形式そのものへの依存になると言う事を 伝えたいのみです。
377さんはアセンションと言う形式にこだわってるように思えます。

この世界に創られるのは平和でも争乱でも無い。二元だけです。
そしてそれは地球に限った事ではなく像を生み出す意識のみの
世界であっても同じだと思います。

恐れを含みながら向き合う死は種と対を産もうとしますが
恐れの無い死は扉でしか無い。

仮にアセンションした世界が広がったとしても、
そこに何かの形を見つけるなら 再び同じアセンション運動が
起きるでしょう。例え夢の中であっても。

スレッドは一時的な踊り場をイメージすると言う点で
意味はあると思います。 でもブッダの形を忘れた視点からは
それはイエスの愛と同じで寄り道です。

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◆◆◆◆なので私はこのブログの最後の記事で
携挙される仲間に入れる機会に恵まれたとしても、
自分は進んで津波に飲まれると書きました。◆◆◆◆

仮にその先に広がる未来が今より多少平和であったとしても、
外に対を見つける仕組みとしては全く同じで、この世界で例えるなら、
戦争のある国から戦争の無い国に引っ越してきたようなもの。
それでも平和な国に住む私達は不平不満を言っている。

私の隠している本音としては、霊の視点で言うなら
二元を生むこの世界にもう子孫を増やして欲しくは無い。

また肉の視点で言うなら
支配者層にとっては税金を吸い上げる為の頭数でしかありません。

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499 :本当にあった怖い名無し:2008/12/15(月) 13:52:52 ID:svpgCKWhO
>>497
494さん。そうでしたか。
正直申しますと私は零感でただほんのちょっと敏感なだけですので
古今東西のいにしえが何を指すのかはピンと来ないです。
神智学のロゴスなどでしょうか?それとも原始仏教を
指しているのでしょうか。 はたまた「悟り」そのものでしょうか?

自分の考えとしては意識上で全ての像を持つ者達、人間はもとより
その色が表す印象の分け隔てなく、天使(堕も)、精霊、宇宙人、
その他諸々全ての存在が自らの立ち位置、形、性格への執着を捨て
姿を完全に 消し去る事がゴールだと思っています。
その過程では、たとえ人間であっても肉体を持つ生命だから、
どこの存在より格下と言う段階的な格差は無く、各々が自らの姿への
執着を消すのが解脱であり、 たとえ人間であっても肉体を持たない
霊的存在よりも早く、その共有された輪の中から抜け出す事は
可能だと思っています。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

500 :本当にあった怖い名無し:2008/12/15(月) 14:12:25 ID:svpgCKWhO
あくまで持論ですが補足します。
前の書き込みでサタンと人間は鏡だと云い、
また他の書き込みでは唯識に共感していると書きました。
この発言の理由として、「居ると言う事も立証出来ないし、
居ないと言う事も 立証出来ない」からです。

例えば亡くなった近親者の霊を見たとします。
それははたして自分の祈りが見せたものなのか、
はたまた本当に故人が会いに来てくれたのか
どこまで行ってもその人の記憶にしか無く、立証は出来ないからです。

ただ以下が云える事は確かです。
見た当人がはじめからこの世に居なかったら
霊の方も見られる事は無かったろう。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

2008.12.16.11:00

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題:【サタン】

~して欲しい、という願いすら
善悪の二元の範疇に入る言葉なのだけれども、
将来的に拒絶や差別が解消された結果の裏を返したスタイルとして
何かに頼る依存志向は減少していくと思う。

まるで「サタン」と譬えられている
自分都合の自我を常に持ち続けている人間。
私が人とサタンが鏡だ、と表現したのは地上しがみつく限り、
自分以外のあらゆる対象をサタンや天使に見てしまうから。
ある時は特定の人間をサタンと云い、
ある時は世間の風潮をサタンと云う。

《自分の都合を持って》生きてる限り自分がサタンだよって。
他人じゃないよ、誰かじゃないよ、自分がだよって。

だから、この世界から人が姿を消した時、やっと
はじめてサタンが消える。

コレは自分なんかじゃ無いと、思い浮かべつつ振り払っていた
彼自身が消える。

何も地球の外側から《辛そうな誰かを見て》サタンが
本当に興奮してるんじゃない!

ニュースを見て我々自身、「可哀想」と指差しながら、
遠くで起こっている他人事に感心を示しているようでいて、
腹の底では慣れて忘れるまでの刺激。

これが悲しみかぁ。
これが喜びかぁ。
これが妬みかぁ。
これが憎しみかぁ。
これが慈しみかぁ。

生きてる事を確かめたくてもっともっと
感情の波に塩味を足していった。

押しては返すその波に最後は根こそぎさらわれて、
彼岸と言う立場の無い楽園にその仮面の紐はほどかれ眠る。

2008.12.16.18:00

つまりどんな大層な人でも、サタンの誘惑と
置き換えられているのは本人自身の欲でしかない。
かの有名な新約聖書の主人公も俗っぽい欲が
普通に湧き上がる程の隙間があったんですね。

サタンと言う全ての人類を騙しかねない
狡猾な詐欺師が本当に居る訳でもない。
全て自分の言い訳、自分からの発生。

2008.12.17.11:25


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