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カテゴリ:教授の読書日記
マルクスの主著、読んじゃった! これ、すごいわ・・・。
ん? 何? 「今頃『資本論』を読んだのか?」ですって? 何言っちゃってんの! 私はそんな蓮っ葉な小者の本のことなんて言ってませんよ! マルクスはマルクスでも、カール・マルクスじゃなくて、マルクス・アウレーリウス・アントーニーヌスの方。ローマ帝国の皇帝(在位161-180年)。で、その皇帝の書いた『自省録』を読んだって話。 しかし、今から1800年以上も前のローマ皇帝の手記が、日本語で読めるんだよ? このこと自体、すごくない? で、実際、この本の内容も素晴らしいものでした。 ちなみに、なんでアメリカ文学畑のワタクシがローマ皇帝の著書を読んだかと申しますと、この本ね、実は聖書と並んでこの世の最初期の自己啓発本と見なされているのよ。だもので、自己啓発本の研究者としては是非とも読んでおかなければならない文献の一つなんです。むしろ読むのが遅きに失した、ってな感じ。否、勉強に早いも遅いもないよね。読むべきものを読む、それだけですわ。 で、この本でマルクスが・・・皇帝のことをファースト・ネームで呼び捨てにするのも若干気が引けるので「陛下」って言おうか・・・この本で陛下がおっしゃっているのは、宇宙や自然のありようの肯定です。陛下はキリスト教にはあまり理解がなかったようなので、陛下の言う「神々」というのは、もちろん、キリスト教の神のことではないのですが、とにかくそういう創造主の神々がいると仮定して、その神々がすべてうまいこと塩梅して宇宙や自然を作っているわけだから、それに何の不満も抱くべきではないと。 たとえば人間は死ぬと。だけど、そんなこと、なんてことない。なんとなれば、すべては神々の、そして宇宙の計画通りだから。人間というのは「全体の一部」(54ページ)であって、もともと宇宙内に存在した原子が組み合わさって人間となり、それが死んで原子に返り、それがまた次の命をはぐくむようになっており、そうして万事がうまく回っていくのだから、死というものに対して何も不満もないし、恐れるべきこともない。 それに、人間の世界なんて、大昔も同じ、これから先も大して変わりもしないのだから、この世に10年生きていようと、100年生きていようと、観るものは全部おんなじだと。だから若くして死のうが、100歳になってから死のうが、何の変わりもありゃしないんだと。 で、そういった陛下の宇宙観からすると、人間の毀誉褒貶も空しいことでしかないわけね。だって、褒められようが、けなされようが、宇宙の時間の流れからすれば一瞬のことだし、褒められたりけなされたりしたところで、人間はすぐ死ぬし、自分のことを褒めてくれた人もけなした人もすぐに死んで、自分が存在したことなんてあっという間に忘れ去られてしまう。だったら、そんな毀誉褒貶に悩むだけバカらしい。陛下は、そうおっしゃっております。 で、そんな空しい人生を、ではどうやって生きていけばいいかといいますと、まず人間は社会的な存在であるのだから、良き隣人であるべきだし、社会に、他人に貢献することを心掛けなければならない。人には良くし、自分のことを攻撃してくる人に対しては、「そうしない方がいいよ」と、そっと愛をもって諫め、それでも止めない時はただ静かに避ければいい。 そして、自分の中にある指導的な「ダイモーン」(要するに「良心」みたいなものだと思えばいいのだと思いますが)に従って、なるべく恥じることの少ない人生を歩めば、それでいいと。陛下の言葉を直に引用しますと、「もし君が目前の仕事を正しい理性に従って熱心に、力強く、親切におこない、決して片手間仕事のようにやらず、自分のダイモーンを今すぐにもお返ししなくてはならないかように潔くたもつならば、またもし君がこのことをしっかりつかみ、何ものをも待たず、何ものをも避けず、自然に適った現在の活動に満足し、ものをいう場合にはいにしえの英雄時代のような真実をもって語ることに満足するならば、君は幸福な人生を送るであろう。誰一人それを阻みうる者はない」(45-46ページ)。ううむ、まさに最古の自己啓発本! で、もう一つ、陛下が何度もおっしゃることは、この世の苦悩というのは、大部分は、その苦悩をもたらした事柄自体よりも、そのことを苦にする自分自身の感じ方によって生じるのだということ。陛下のお言葉を引用しますと、「事物は魂に触れることなく外側に静かに立っており、わずらわしいのはただ内心の主観にすぎない」(51ページ)。 つまり、陛下によれば、人は誰からも、何ものからも、ダメージを受けることはない、というのですな。だから、その点では何も恐れることはない。ただ、ダメージを受けるとすれば、それは自分の内面が自分に対してダメージを与える場合であると。だから、そこだけに注意せよと。 で、この流れで、私が感銘を受けた陛下のお言葉ってのは、次の通り:「悪人にも善人にも同じように起りうることを、悪とも善とも判断せしむるな。なぜならば自然に反した生活をなす者の上にも自然にかなった生活をなす者の上にも同じように起ってくる事柄は、自然にかなうことでもなければ自然に反することでもないのである」(65ページ)。 なるほどね~。 こういう風に見てくると、例えば「人間というのは宇宙の、そして万物の一部だ」とか、「自分を苦しめるのは自分自身の内側から発する想像力なのだから、そんなものは無視して平静を保てばいい(=インサイド・アウトの考え方)」とか、「今日を、人生最後の日であるかのように過ごせ」とか、後の時代の自己啓発本の萌芽に当たるようなことが沢山あることもさることながら、それ以上に、・・・なんて言えばいいのかなあ・・・タフな生き方というかね、クールな生き方を教えてくれているような気がする。 人間なんてどうせすぐ死んじゃうんだし、毀誉褒貶のことなど考えず、その日その日を、自分のダイモーンに恥ずることなく生きよ。たとえ特殊な才能がなくたって、真面目に、一生懸命、人に貢献できるように生きることはできるだろ、だったらつべこべ言わずにそうしろ。何か不幸に見舞われたとしても、それは宇宙の計画のうちなので、その計画の中で、自分が果たすべき役割が回ってきただけなんだから、泣き言言わずにその役割を粛々と果たせ。そうやって生きている限り、お前にダメージを与えるものなど、何一つない。だから、恐れるものなど何もない。ま、陛下がおっしゃっておられることは、そういうことですな。 クールだね。スーパー・クールだね。気に入ったわ~。 でさあ、とにかくローマ皇帝にですよ、ローマ皇帝じきじきに、次にように語り掛けられる幸せって、ないじゃん?: 「この胡瓜はにがい。」棄てるがいい。「道に茨がある。」避ければいい。それで充分だ。「なぜこんなものが世の中にあるんだろう」などと加えるな。そんなことをいったら君は自然を究めている人間に笑われるぞ」(160ページ) 「そんなことをいったら、君は笑われるぞ」って、ローマ皇帝に言われたい! 萌え~!! ちなみに、マルクス・アウレーリウスは、後期ストア派に属する哲学者であり、彼の治世は人類の歴史上、「哲人が世界を治めた唯一の例」と言われているわけですが、「ストア派」ってのは、要するに「ストイック」という言葉の元でしょ。 ストイックに生きるって、本当はどういうことなのか、ローマ皇帝じきじきに伺ったような気がしております。 ということで、この本、ワタクシにとっては非常に面白く、研究とか言うことを除いても、座右の書としたいくらい感銘を受けたものとなったのでした。教授の熱烈おすすめ! と言っておきましょう。 【中古】文庫 ≪政治・経済・社会≫ マルクス・アウレーリウス 自省録 改版 / 神谷美恵子【中古】afb お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 21, 2018 03:56:45 PM
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