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カテゴリ:教授の読書日記
オリヴァー・ロッジ卿が書いた『レイモンド』(原題:Raymond or Life and Death, 1916 )という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。
さて、その前にオリヴァー・ロッジ卿(Sir Oliver Joseph Lodge)ですが、この人は1851年の生まれで1940年没。イギリスの物理学者ですね。物理学者ったって、そんじょそこらの物理学者じゃないよ、電磁波検出器「コヒーラ」の発明者で、点火プラグの発明者でもある。つまり、無線電話とか、自動車とかの発展は、すべてこの人の貢献によるものなんですな。つまり、超一流の物理学者であった、ということ。元々リバプール大学で教鞭を執っていたけれど、その後バーミンガム大学の初代学長にまでなってますからね。そりゃ、「サー」の称号も付きますわな。 で、そんな超一流の物理学者にして、心霊研究の第一人者でもあった、というので、心霊研究サイドとしては頼もしい味方、ということになる。だって、「心霊研究なんて、バッカみたい」って言われた時に、「へーえ、素人はそういうこと言うんだ。でも、超一流の物理学者にしてバーミンガム大学の学長のロッジ大先生が、心霊の世界はあるって断言してるもんね!」と言い返せますからね。だから、心霊研究者サイドとしては、何かというとロッジ卿がこう言っておられる、的なことを言いたがるわけよ。 この辺の詳しいことは、ウィキペディアの「オリヴァー・ロッジ」の項目でも読んでもらうといいのですが、とにかくロッジ卿は、我々が「現実世界」と思っているこの世こそ幻影で、本当の世界というのはこの宇宙の内奥にある。今我々が触っている物体だって、エーテルが凝固したものに過ぎない。死んであの世に行くというが、本当はあの世の方が実体なのであって、むしろこの世にいることの方が奇蹟である、という考え方の大科学者なんですな。もちろん、1882年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの三人の学寮長によって設立された「心霊現象研究協会(The Society for Psychical Research, SPR)」の主要メンバー(第6代会長)でもあります。なお、SPRの支持者としては詩人のアルフレッド・テニスン、ルイス・キャロル、アーサー・コナン・ドイル、哲学者のC・D・ブロード、分析心理学のカール・ユング、フランスの哲学者でノーベル賞受賞者のアンリ・ベルグソン(第11代会長)などが有名。 ちなみに、イギリスのこれに刺激されてアメリカでウィリアム・ジェイムズ(第3代SPR会長)などによって設立されたのが「米国心霊現象研究協会(ASPR)」で、ここは1890年からイギリスのSPRの正式な支部となり、マーク・トウェイン、それにデューク大学の超能力研究者、J・B・ラインなんかもこのメンバーでした。 こうしてみると、錚々たるメンバーが、当時、心霊研究に打ち込んでいたってことになるわけだよね! さて、で、そんなロッジ大先生ですから、1880年代から既にテレパシーなんかの研究を始めており、そのあたりからスピリチュアルな方向に向かうわけですけれども、やっぱり決定的にそっちに方に行っちゃうのは、息子のレイモンドが第1次世界大戦で戦死してから。その辺は、同じく息子を第1次世界大戦で失ってからスピリチュアルな方に突っ走るアーサー・コナン・ドイルと同じで、実際、ロッジとコナン・ドイルは親しい友人同士でした。 死んだ息子があの世でちゃんと生きていて、今もなお会話が出来ると信じたことからスピリチュアルに向かうロッジとコナン・ドイル・・・もう、涙なしには語れないじゃないですか。でも、結局、そういうことなんじゃないの? そういう切ない思いから宗教に向かう人も居れば、それが科学者の場合は、スピリチュアルに向かうと。で、科学的にあの世が実証できると信じれば、科学者は同時に普遍的な意味での宗教家ともなるわけで。実際、オリヴァー・ロッジ卿が「クリスチャン・スピリチュアリスト」と呼ばれるのは、そういう意味ですからね。 で、本題に戻りますが、ロッジ卿が書いた『レイモンド』という本は、第1次世界大戦で名誉の戦死を遂げた息子レイモンドと、交霊会で霊媒を通じて語り合った経験を実証的に記録したものなんですな。 そのレイモンドですが、ロッジ卿の末子で、上に兄が二人、姉も居る。顔つきは父親似だったそうですが、肖像写真を見ると、映画『ハムナプトラ』でヒロインの兄を演じた俳優ジョン・ハナーにクリソツ。バーミンガム大学で機械学・工学を学んでいたが、1914年9月に自らの意思で志願兵となり、ただちに南ランカシャ第二連隊の少尉となって、1915年9月14日、塹壕戦を戦っている最中、敵の榴散弾により重傷を負い、その数時間後に死亡。 ところがですね、ここが本書のポイントの一つなんですが、ロッジ卿は、レイモンドの死をあらかじめ知っていた・・・と言うと言いすぎですが、少なくともそれを予言するような連絡を、正式な陸軍からの連絡の前に受け取っていたんですな。 というのも、アメリカの有名な霊媒師であるパイパー夫人(ロッジ卿は、アメリカの心理学者ウィリアム・ジェイムズから紹介されて、パイパー夫人とは1889年から知り合いであり、1906年からはさらに親しく連絡を取り合っていた)を通じ、既にあの世に行ったSPR仲間のフレデリック・マイヤーズ(SPRの創設者の一人で、超有名な人。1901年没。ウィキペディアをご覧あれ)から、何らかの不幸が起こることを予告されていたから。これ、パイパー夫人の家でロビンズという女性が交霊会を開いていて、リチャード・ホジソン(この人もSPRの初期メンバーで、もちろんロッジともお友達。ウィキペディアをご覧あれ)と交信していた時に、急にマイヤーズが割り込んできて、ロッジにある種の警告をしたんですな。 じゃあ、それがどんな具合だったかといいますと、以下の通り: ホジソン:さて、ロッジ、私達は昔のように一緒にいない。つまり全然そうではないが、通信を交えるには差支えありません。マイアーズはあなたが詩人の役になる、そしてマイアーズがフォーヌスの役になるというのです。フォーヌス。 ロビンス嬢:フォーヌスですって? ホジソン:そうです。マイアーズ。保護します。あの人(ロッジのこと)は分かるでしょう。言い分がありますか、ロッジ君。立派な仕事。 ロビンス嬢:あなたは、アーサー・テニスンのことを言ってらっしゃいますの? ホジソン:いいえ、マイアーズが知っています。そうです。あなたは面食らっていらっしゃる。しかし、マイアーズは、詩人とフォーヌスのことで間違ってはいないのです。(38頁) ま、こんな感じ。明らかに、マイアーズはあの世からロッジ卿に対して、子息の戦死を知らせております。 ・・・って、どうやったらそう解釈できるんだよっ!!! 実際、ロッジ卿もいささか面食らいまして、「これは一体どういう意味じゃ? マイヤーズは一体何を知らせてきたんじゃ?」と思い、この一連のやりとりをヴェロール夫人という人(よく分からないけれど、多分、古典文学の学者さん)に問い合わせたところ、ローマ詩人のホレース(ホラティウス)の「カルミラ第二編第17、27行ー30行」に「呪うべき幹は、余の頭を打ちて、余を殺さんとしたりき。されど、マーキュリイの友を守る強きフォーヌスは、倒るる半ばにして、その打撃をさえぎりたりき」とあるので、このことではないかと回答してきた。 つまり、ロッジ卿に木の幹が倒れてきて、あやうく彼を殺そうとしたのを、マイヤーズが危ういところで助けたと。 で、この通信を受けた時(1915年9月初頭)、ロッジ卿は何か自分に金銭的な危機(破産とか)が迫っているのかと漠然と考えたそうですが、その数日後に、陸軍から愛息レイモンドの戦死の報が来て、ああ、マイヤーズが予告してきた大きな打撃とは、このことだったのかと。 どう、これ。納得できる?? ま、我々が納得するかどうかはどうでもよくて、少なくともロッジ卿は納得したんですな。で、この辺りから彼は、やたらに交霊会に参加するようになり、死んだレイモンドと対話をしようと試み始めると。 ちなみに、この交霊会ってのも今一つよく分からないんですけれども、霊媒師というのが居て、これがあの世の人との仲立ちをするのかと思いきや、そういうわけでもなく、もう一人、間に挟むらしいんですな。で、レイモンドの場合は、インドの少女「フィーダ」というのがレイモンドの伝言役らしく、レイモンドがフィーダに伝える、フィーダが霊媒師に伝える、霊媒師がロッジ卿に伝える、という伝言ゲームをやるらしい。あるいは、もっと直接的にレイモンドがテーブルを揺らすか何かして、その揺れの数をアルファベットに置き換えるか何かして、それでレイモンドが直でメッセージをロッジ卿に伝えるという方法もあるらしい。まあ、とにかく、どっちにしてもかなりまどろっこしい形で、あの世とこの世で通信が行われ、ロッジ卿(それとロッジ卿の奥さん(つまりレイモンドの母親)や、レイモンドの二人の兄たち)なんかが、やったー、レイモンドからメッセージが来たぞーー!とか言って喜ぶと。 でまた、レイモンドってのがお母さん思いな息子で、霊媒師の口から「お母さん、心配しないで」とか、「お母さん、僕はこちらで楽しくやってます」なんてメッセージを受け取る度に、ロッジ夫人は狂喜すると。 うまいのお、霊媒師とやらも・・・。 一方、レイモンドの兄たちは、若干懐疑的なのか、兄弟だけが分かる(つまりインチキ霊媒師とかには分かるはずのない)家族の思い出とかをレイモンドの霊に言わせようとして、なかなかいい結果が得られない、なんてエピソードもある。 っていうかね、まあ、本書に書かれているレイモンドからの交信なんて、漠然としたものばかりで、第三者が見たら、とても「これは確かにあの世にレイモンドが実在している証拠になる」と判断できるものなんかほとんどないよ。例えば、「こっちの世界で、お父さんも知っているAという人と知り合いになったよ」などとレイモンドが言ってきた場合、ロッジ卿は「おお、そうか、アルフレッドもそっちにいるのか!」的な反応をするんですけど、そりゃねえ、大抵のイギリス人は、長い人生の中で「A」という頭文字の男と知り合うことはあるんじゃないの? そういう類のことをもって、確かにこれはレイモンドからの交信だ、と言い切れるのかどうか・・・。 ま、強いて言うと、本書の中に登場する、そしてロッジ卿が「これは決定的」と判断するエピソードが二つあって、一つはレイモンドが死ぬちょっと前に、軍隊の仲間で写真を撮った、という話: ロッジ:お前は、写真のことを何か思い出せますか? フィーダ:そのとき、他に幾人も一緒に写したようですって、一人や二人でなくて、幾人も。 ロッジ:みんなお前の友人かね。 フィーダ:友人もありますって。あの方(レイモンドのこと)は、みんなの人を知っていなかったのです。そうよくは。けれど中には知っている人もあったの。聞いていた人もあったの。みんなお友達ではなかったのです。 ロッジ:写真ではどんな様子をしていたか記憶していますか。 フィーダ:いえ、どんな様子だったか覚えておりません。 ロッジ:いえ、いえ、立っていたかというのです。 フィーダ:いいえ、そうは思わないようです。まわりに立っている人もありました。あの方は座っていて、後ろに何人か立っていました。立っている人もあれば、座っている人もあった、と思っています。 ロッジ:みんな軍人でしたか。 フィーダ:混じりです。Cって人もありました。Rって人もありましたーーあの人の名ではない、他のRですの。K、K、K、ーーあの方はKのことで何か言っています。あの方はそれからBで始まっている人のことを言っています。けれどもBは止め。 ロッジ:私はその写真のことを尋ねている。まだそれを見ないので。ある人がそれを送ってくれようとしている。私達はそれがあるということを聞いた。ただし、それきりです。 フィーダ:それには十二人くらい写っています。十二人ですって。多くっても。フィーダは、きっと大きな写真なのだと思いますわ。いいえ、あの方はそう思わないのです。大勢が一緒に固まっているのですって。 ロッジ:杖をもっていますか。 フィーダ:それは覚えていません。あの方は、誰かが後ろから寄りかかろうとしているのを覚えています。けれど誰かに寄りかかられて写したかどうかは確かでないのです。けれど誰かが寄りかかろうとしたのを覚えています。さっき、あの方が言ったもの、Bと言ったものは、その写真では、どっちかというと目立っていましょう。それは写真師のところで撮ったものではありません。 ロッジ:戸外ですか。 フィーダ:ええ、実際は。(60-62頁) こんなやり取りがあった後、その写真がロッジ卿のところに遺品として送られてきて、見ると戸外で兵隊仲間と写した写真(ただし12人ではなく21人)で、レイモンドは座っていて、後ろの人から寄りかかられている(ようにも見える)。これはまさに、レイモンドがこの写真のことを言っているに違いないと。 うーーん。そうか? 兵隊として軍に所属していたら、皆で集合写真の一つも撮るでしょうしねえ・・・。これを持って、「確実」と言えるのか?? あともう一個は、「孔雀のジャクソン君事件」: ロッジ:お前は家の庭の鳥のことを覚えているかね。いや、大きな鳥です。 フィーダ:ええ、覚えています。 ロッジ:では、今度は何か他のことに移りましょう。私は鳥のことであれを困らせたくない。ジャクソン君を覚えていますかと尋ねて下さい。 フィーダ:あの人は、いつも毎日その人に会いに行きましたって。毎日。(中略)その人は倒れたと言っています。自分で怪我をしたのです。 ロッジ:家族の友人でしたか。 フィーダ:いいえ。いいえ、ですって。あの方はフィーダに転がるような感じを与えます。またまるで――あの方は笑いました。それでも、家族の友人ではないといっています。その人の名を言わない日なんぞありませんでしたって。あの方は冗談を言っているのですよ、きっと。フィーダをからかっているのですよ。 ロッジ:いや、あれの言うことをみんな話してください。 フィーダ:あの方は言いますの、その人を台の上に置くのですって。いえ、皆さんが台の上に載せたのですって。あの方は随分妙なことだと思いました。(中略)フィーダにはあの方が、その人と鳥をごたまぜにしているように聞こえましたの。だって、その最中に「鳥」の話をなんだか始めるのですもの。ジャクソンさんのことを言っている最中に。(273-275頁) 実はこの交霊会の前に、ロッジ家で飼っていた孔雀の「ジャクソン君」が死にまして、それを剥製にするという話が持ち上がっていたと。で、そのことをレイモンドはあの世で知っていて、それを話題にしたんだ、と、ロッジ卿は判断したと。それも、まるで仲立ちするインドの少女フィーダをからかうような調子で話している感じが、いかにも茶目っ気のあるレイモンドらしい、と。 そうです・・・か。 まあね、とにかく、ロッジ卿と今は亡き子息レイモンドとのあの世とこの世の間の通信というのは、上出来の部類で以上のような感じであったと。 あと、このほかにロッジ卿がレイモンドのあの世がどんな感じかを尋ねていて、それに対してレイモンドがあれこれ答えるのですけど、それによると、あの世でも男女の区別はあると。で、男女間にはそれ相応の愛情も存在するのですけど、あの世で子どもが生まれることはないそうです。 食べ物もこの世のものとは違って、あまり食欲はわかないと。ただし、モノを食べている人は見かけるそうなので、食べても食べなくてもいいみたい。葉巻を吸ったり、酒を飲むことも出来るようですが、あまり嗜好性はなく、何回か経験すると、もういらない、という感じになるらしい。 あと、あの世では誰も出血しないようで、血を見たことがない、とレイモンドは言っております。また地上で大怪我をして死んだ場合も、あの世で少しずつ癒されるようで、片腕を無くした人も、新しいのが生えてきたそうです。とにかく、地上での完全体が、あの世で再現されるようで、ただ内臓の働きは、地上でのそれとは少し異なるらしい。ーーつまり、どうやら地上でのアイドルと同じような感じで、あの世ではトイレにはいかないでいいみたいですな。 あの世の家はレンガで出来ているみたいですが、レンガの作り方もこの世と違って、なにか地上から発散してくる原子(アトム)みたいなものが昇ってきて、それが段々固まってきて、レンガになるらしい。手触りはレンガそっくりらしいですけどね。またレンガに限らず、地上から昇ってくるエーテルから、あの世では固いものをあれこれ作るらしい。 それから地上では腐る者も、あの世では腐らないし、全て地上のものは匂いを発する香のようなものとしてアチラに行き、その香から、それぞれ、元のものに応じた何かが精製されるんですと。 あと、天界は何層かに分かれていて、今レイモンドがいるところがまだしも地圏に近い第三圏(サマーランドと呼ばれているらしいーーそう言えば昔、八王子の方に「東京サマーランド」ってあったなあ・・・)だそうで、更に上に第四圏、第五圏、第六圏、第七圏と言った具合に進級していく。第五圏くらいになると、すべてのものがアラバスターで出来ている殿堂でもあるかのように真っ白らしいです。で、あちこちに色々な色の光があって、例えばピンク色の光は愛、あおい光は精神を癒す光、オレンジ色の光は智の光、とか、それぞれ決まっていて、自分の望むところに行ってそこに立つことになると。 ちなみに、それぞれの圏は、一つ次元の低い圏の周りにあって、回転しているらしいですが、その回転の速さにも違いがあって、円周が大きくなるにしたがって回転も速くなると。 それから、レイモンドは向こうの世界、それも一度だけ上の層の世界に行って直接キリストさんにも会ったらしいです。曰く「クリストはどこにでもおられる、一人格としてではないと。けれど、クリストは居られます。そして高い圏に住んで居られます。僕がお目にかかることを許されたのが、そのクリストです」(239頁)。で、レイモンドはそのキリストさんから、何か使命を与えられたそうですが、それが何だったか、ちょっと忘れちゃったと。忘れちゃったけど、一語一語、はっきりと言われた。それは地圏の近くにいて、みんなの助けになるように、という内容だったらしい。 こうして見ると、アレですね。レイモンドが語るあの世の仕組みは、スウェーデンボルグが語るあの世とそっくり、ということが出来そうですな。もちろん、ロッジ卿がスウェーデンボルグのことをよく知っていたことは言うまでもありませんが。 まあ、本書の内容を紹介すると、ざっと上のような感じになります。 ちなみに、本書を翻訳しているのは、かの野尻抱影大先生(1885-1977)でございます。冥王星の命名者ですね。星のことに詳しいばかりでなく、「日本心霊現象研究協会」の発起人の一人。その意味で、まあ、この本を翻訳するのは適任と。 で、本書には高橋康雄という人の解説(「死後はあるか」)がついていまして、これが結構、辛辣というか、割と批判的に心霊現象のことを解説している。 でも、その批判的な言の中に、面白いことも色々書いてあって参考にはなる。 例えば心霊研究に対して批判的だった人としてG・K・チェスタトンや、『ヘンリ・ライクロフトの私記』で名高いギッシングが居た、とかね。 ロシアで心霊現象を吹聴して回ったのはアクサコフで、彼がロシアにおけるスウェーデンボルグの紹介者であったらしいですが、有名な心霊家D・D・ボームもロシアに二回も行って心霊現象ブームを巻き起こしていて、彼はアクサコフの遠縁の親戚と再婚したりもしている。で、これに反応した「ジャーナリスト」のドストエフスキーは自分の目で交霊会の何たるかを見聞し、これはインチキだと思ったとか。 あと日本ではロッジ卿について、夏目漱石とか柳宗悦とかが反応し、漱石は『行人』の中でメーテルリンク(『死後は如何』が日本で評判を呼んだそうで)の論文を読んでつまらん、との感想をしるしていると。 あと福来友吉という人が、心霊実験に失敗して、東大教授の座を追われるということ(大正二年)もあったとか。 また大正十年頃は日本でも心霊現象が話題になって、『カリガリ博士』が話題になったり、フランスの天文学者で心霊学者でもあるフラマリオンの著作が話題になったりし、それを佐藤春夫や谷崎潤一郎(「ハッサン・カンの妖術」)、稲垣足穂や富ノ沢麟太郎(「あめんちあ」)なんかが盛んに論じたりしたものなのだとか。浅野和三郎の『死後の世界』が出たのが大正十四年。 その他、芥川龍之介の「妖術」「魔術」、内田百閒の「冥途」、稲垣足穂の「一千一秒物語」、梶井基次郎「Kの昇天」、正宗白鳥「影法師」など、大正年間にはいろいろ、心霊主義的な小説が出た。 ・・・とまあ、色々なことが書いてあるわけですが、とにかく20世紀最初の十年、二十年というのは、この種のスピリチュアルが欧米でも日本でも、盛んに人の口の端に上ったと。心霊現象がインチキかそうでないかは別として、これが話題になるような状況は、この時代、確かに生じていた。 ま、そういうことがあれこれ分かったということも含め、この手の話の流れの中で必ず言及されるオリヴァー・ロッジ卿の『レイモンド』がどういうものか判明しただけでも、この本を読んだ甲斐があるというもの。 ま、誰にでもおススメできるシロモノではありませんが、興味のある方は是非。とはいえ、今、そんじょそこらで売っている本ではないですけどね・・・。
Last updated
June 15, 2021 12:25:29 AM
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