卒論指導が終わり、研究日であることもあって、今日は一日のーんびり。お昼は家内とブロンコビリーで外食しました。少し遅めのお昼とあって、お客さんの少ないブロンコビリー、サラダバーでしこたまサラダを食べ、肉を食べる罪悪感をきれいに払拭。帰りはプライムツリー赤池に寄ってちょっと買い物をしたり。
いや~、こんなにノンビリできる日って、一年に何回あるか、って感じだなあ~。
で、帰宅後、ここ数日読んでいた常盤新平さんの『光る風』という小説を読み切ってしまいました。ので、心覚えを。
主人公の大原修造は60代の初老の翻訳家。まあ、要するに例によって常盤さん本人がモデル。で、修造の妻・路子は既に物故していて、修一郎という一人息子とその嫁の里子が同居している。ところがこの息子夫婦の夫婦仲が悪化し、修一郎は他所に若い女を作って家を出てしまった(後に里子とは離婚)。しかし、里子は実家に戻りたくないということで、今は修造と嫁の里子が一つ屋根の下で暮らしていると。
何ソレ? 義父と嫁が一つ屋根? それって、小津安二郎的状況? それとも安物のポルノ小説?
で、冒頭、修造が夢の中で里子とコトに及ぶ妄想シーンがあるので、ああ、ポルノの方だと読者は納得。
で、いつ、どのようなタイミングで修造と里子が結ばれるのかしら? という下世話な興味を持って読み進めていくことになるのですが、意外や意外、本作の中では義父と嫁のとっても平和な小津的日常が延々と紡がれていきます。「私のことはいいから、お前、嫁に行け」「いいの」「そうはいっても」「いいの。わたし、もう結婚にはこりごりですから」みたいな。イベントとしては、せいぜい競馬の好きな修造が里子を連れて週末の競馬場に出掛ける、とか、その帰りにデパートによって、修造が里子にスーツをプレゼントする、とか、そういう感じ。
で、その過程で、修造や里子に関わる人々(友人とか後輩とか近所の人とか)が登場してきて、それぞれの抱えている問題を修造に語ったりすると。
で、本作は修造の視点から語られていくのですが、最後の章だけ、里子の視点で語られる。それによると、里子は修一郎と別れてから初めて、恋人らしき男ができるのですが、この男は妻子持ち。そのことを修造も知っている。しかし、「そんな妻子持ちの男なんかと付き合うな」とは言わない。「そんな男と付き合うくらいなら、俺の女になれ」とも言わない。里子は、義父が自分にある程度惹かれていることはある程度気づいていて、しかし、年齢の点から言っても何らかの行動に出てくるだろうとまでは考えていない。だから、妻子持ちの男と義父の間にあって、どちらの方向にも進まない、宙ぶらりんな状況を、楽しんでいるとまでは言わないけれど、今はこのままでいいと思っている。
というところでおしまい。
なーんだ、修造と里子は結ばれないのか。つまんないの。(コラっ!!)
まあ、ポルノ的なニュアンスをほのめかして読者を惹き付けつつ、結局・・・という小説よ。そういう小説として、面白いか?と言われると、そうね、面白くなくはないです。
でも、この小説に登場する話って、結局、いつもながらの常盤ワールドそのものなのよね。つまり、常盤的不倫話ばっか。
たとえば修造の息子、修一郎が、里子を離縁して別の女と暮らし出すという冒頭のエピソード、これ、常盤さん自身の体験談よ。常盤さんも、妻と離婚して別の女と再婚したのだから。
あと、修造が後輩翻訳家の吉村という人と会うシーンがあるのですが、吉村もまた妻と離婚して別の女と結婚するという。
それから、修造が翻訳家講座で教えていた時の教え子で、八木沢有紀という女が修造を訪ねてきて、夫と別れるだなんだという相談をもちかけるシーンがあって、そんなお悩み相談の果てにあわや二人がコトに及ぶのでは、となりかけるのですが、翻訳家講座の教え子とW不倫の末、くっついたのも常盤さん自身の体験。
修造と里子が温泉に出掛けると、その宿で偶然、既知の友人・倉橋啓太郎とその妻邦枝に出会うのですが、倉橋もまた、最初の妻と離婚して邦枝と再婚している。で、最初、おしとやかな女かと思っていた邦枝が、実は気の強い女で、今、倉橋はこの二番目の妻の尻に敷かれているという設定もまた、常盤さん自身の状況と同じ。
里子の学生時代からの親友、間宮悦子というのが尋ねてきて、そのあと、修造は悦子と二人だけで会い、男関係の相談を持ち掛けられた挙句、悦子から誘惑されかけるのですが、これは常盤さんの『罪人なる我等のために』という小説に出てくる「秋子」がモデルでしょう。つまり、常盤さんの元奥さんの親友ね。いや、それを言ったら男運の悪い里子のモデルもこの「秋子」のはず。
つまり、この小説に出てくる設定というのは、全部が全部、常盤さんの実体験を、作中の登場人物に割り振り、かつ、少しずつずらして並べたものと言っていい。
っていうか、これって、結局、アレなんじゃない? 手塚治虫式の「スターシステム」。どの作品読んでも、全部おんなじ奴が出てくるっていう。
要するにね、常盤さんってのは、実体験しか書くことができない人なのよ。だから本来は私小説しか書くことができないんだけど、私小説ってのは理論的に言って二度書きはできない。だから一旦私小説を書いてしまった後、次からは常盤さん自身の体験を作中の様々な登場人物に割り振って、それで見た目「私小説じゃない小説」に仕立てるしかない。まあ、そういうことなんでしょうな。
だから常盤さんの小説というのは、全部「血迷って不倫の末に別な女と結婚しちまった男(=常盤さん自身)の色懺悔」の変奏なのよ。それ以外の筋はないと見た。それが常盤さんの限界であり、かつ、このようなシステムで小説を書けば、自分自身の体験だけで何作も小説が書けるという小説作法の発見でもあると。
まあ、それでも、この武器一丁で常盤さんは堂々世の中を渡って行ったのだから、大したものよ。
というわけで『光る風』、そこそこ面白かったです。
これこれ!
↓

【中古】 光る風 / 常盤 新平 / 徳間書店 [単行本]【宅配便出荷】