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釈迦楽

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February 18, 2025
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カテゴリ:教授の読書日記
しんめいPさんの書いた『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。

 アメリカでもそうだけど、このところの日本ではダウナー系の、つまり「あんまり頑張るな系」の自己啓発本が増えていて、それはアッパー系(イケイケ、どんどん系)自己啓発本への食傷傾向のなせるわざなんだけど、しんめいPさんのこの本も典型的なダウナー系でございます。

 しんめいPさん、東大に進学して地元(田舎)の期待を一身に担い、さらに人も羨む外資系の会社に就職して順風満帆だったんだけど、実は面接の達人だっただけで、本当はグループワークの苦手な陰キャだったんですな。で、会社でも期待のホープとしての活躍ができずに退社、鹿児島県の島に移住して教育系の仕事に携わるも、東京以上に濃密な島の人間関係についていけずここも辞め、一時は芸人を目指すも、オーディションで一発で落ち、最終的に引きこもりになってしまったと。

 で、その鬱状態での引きこもりの最中、色々本を読んで浮上を目指したしんめいPさんは、最初、自己啓発本を読んだのだけど、欝の中でアッパー系の自己啓発本は辛すぎ、次に西洋哲学を色々読んでみたけどどうも合わず、次に東洋哲学に触れて救われた。

 で、そういう自分自身の体験をもとに、東洋哲学を紹介するようなnote を書いたら、それが出版社の目に留まって、以来、3年くらいかけて本書を書き上げたと。

 ま、そういう経緯のある本なんですな。

 で、しんめいPさんはこの本の中で7人の東洋哲学の偉人を取り上げるのですが、そのトップバッターがブッダ(=釈迦)ね。ま、そりゃそうだろうけど。

 で、しんめいPさんと同じくハイスペックな身分からホームレスになったブッダがたどり着いた境地が「無我」、すなわち「自分などない」ということだったと。万物が流転する中で、「流転しない自分」などあるはずがない。そのあるはずがないものを、あるように想定するから苦しみが生まれるのであって、そもそも自分なんてないと思えばいいのだと。

 ところがブッダの哲学は、その後、妙に難解に解釈されるようになってしまった。そこでその面倒臭くなったブッダの哲学を、もう一度分かりやすいものにしたのが仏教中興の祖、「龍樹」という男。そこで本書第2章では龍樹の唱えた「空」という概念の解説に費やされます。この本の中心ですな。

 普通、兄は弟より前に存在していたと考えられているけど、一人っ子の「兄」というのはおかしいので、兄は弟が生まれた時点で兄になったと考えるほかない。つまり兄と弟は同時に生まれたと。このことが示すように、人間関係というのはすべて関係性によって決まるわけ。子どもができたから親になるのだし、会社に入る人がいるから社長が生まれるのだし。で、その伝でいくと強い人がいるのは、弱い人がいるからだし、善があるのは悪があるから。つまり兄も親も善もすべて根本的なものではなく、後から作られるフィクションであると。またそうでありながら、兄―弟、親―子、善ー悪のように、すべてがつながっている。

 こうなってくると、たとえば「自分は才能がないから、仕事ができない」とか、「自分は弱いから、恋人ができない」などという考え方は成立しないと。才能がないとか弱いとか、そういう前提自体がフィクションであって、もともと存在しないものなのだから、「こうだから、こう」という理屈は成立していないからね。

 だから、人間の悩みってのは、そもそも存在しない。これが「空」という考え方。そして空なる自分は、空なるすべての存在とつながっている。だから、すべて大丈夫。しんめいPさんは、この考え方に救われるわけ。

 続く第3章は老子&荘子の「道(タオ)」という考え方。「タオ」は、「すべてはフィクション/すべてはつながっている」と判断する点でインドの「空」に近いけど、「空」は「だからそんなフィクションの世界から解脱したい」とネガティブに考えるのに対し、「タオ」は「そんな世界を楽しもう!」とポジティブに捉える。

 「タオ」は、「ありのままでよし」と考えるので、どこまでも普通に自分を押し出す。無敵。しんめいPさんも「タオ」の哲学に触れて、相当タフになったのではないでしょうか。

 第4章で取り上げるのは達磨大師。彼の教えは「言葉を捨てろ」の一語のみ。すべては空で、ありのままでいいのだったら、喋る必要もない。達磨さんは、ありのまま戦略を、無言という方針によって貫いたと。

 第5章では、親鸞が取り上げられています。親鸞のポイントは「他力本願」。「空」などという概念を知ってしまうと、修行して善行を積んで「空」に到達しようなどというフィクションに向かっちゃいそうなんだけど、結局人間はダメダメだから、大抵の人は「だめだーーー」っていうところまで来ちゃうわけですよ。しんめいPさんだって、あがいたあげくに引きこもりになっちゃったわけだから。

 でもそうやってダメをしつくすと、逆に「他力にすがるしかない」という感じになって、イイ感じに脱力できる。親鸞の教えたことも、結局、「ダメだーーー」ってなっちゃえ、ということなのではないかと。そうなった時に、「空」の方がこっちに近づいてきてくれるよと。

 第6章のテーマは空海の「密教」。密教ではマンダラを使うのだけど、マンダラにはブッダの色々な側面が絵として描かれている。あれは、要するに、「ここに描かれているブッダの姿を、物理的に真似しろ」という意味なんだそうで。形から真似してなりきっている内に、自分自身がブッダになれると。

 で、そんな風にしてブッダの姿を真似している内に、自分自身がブッダみたいになってくる。そうなってくると最強で、もはや欲望や怒りなども肯定できちゃう。だって自分の行動すべてがブッダになってくるから。ブッダしちゃうわけね。そうすると、たとえばしんめいPさんの場合、本を書くという行為すらも、自分が書いているのではなく、ブッダが、大日如来が、書いている、みたいな感じになってくる。これはいわば「空であり、すべてがつながっている」という感覚の実践バージョンでもあるわけよ。空海はそれを教えてくれると。

 とまあ、ブッダ・龍樹・老子・荘子・達磨・親鸞・空海という、東洋哲学系7人衆の教えを学んでいる内に、しんめいPさんは引きこもりから本を書く人として社会復帰を果たす。否、引きこもりと社会復帰は別物ではないわけですな。つながっているんだから。とにかく、自分が存在していいのだという悟りを得て救われる。

 この本はそういう風に、しんめいPさんの救われた物語でもあり、同じような立場にある人たちへのアドバイス集でもある。

 ま、なかなか面白い本です。読む価値あり。


これこれ!
 ↓

自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学 [ しんめいP ]


 しかし、自己啓発本研究者たる私から敢えて一言、しんめいPさんに言いたいことがある。

 本書の冒頭、「自己啓発本はとても読めなかったけど、東洋哲学には救われた」みたいなことが書いてあるけど、あなたが書いた『自分とか、ないから。』もまた自己啓発本だからね。

 否、それを言ったら、ブッダも、龍樹も老子も荘子も達磨も親鸞も空海も、全員、自己啓発思想家だし、彼らの書いたもの、あるいは言行録、そういうのすべて自己啓発本だから。

 人はね、たとえ孫悟空のような超人ですら、自己啓発本というお釈迦様の手のひらから逃れらないのよ。何しろ、自己啓発思想こそが、この世の最大の思想だから。





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Last updated  February 18, 2025 01:35:01 PM
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釈迦楽@ Re[1]:再校作業に取り組む(01/23) まめたん20さんへ  あー、マイクさんの…
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ゆりんいたりあ@ Re[2]:齋藤孝著『60代からの幸福をつかむ極意』を読む(01/12) 釈迦楽さんへ そんな、昔の話、良く覚えて…
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