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釈迦楽

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September 30, 2025
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カテゴリ:教授の旅日記
日曜日、恩師と別れた後、我々は倉敷を目指しました。

 恩師Y先生からは「倉敷に行くなら、松山道・高松道を経由して瀬戸中央自動車道を通るのがいい」とアドバイスされましたが、家内が「しまなみ海道を通ってみたい」と言っていたので、家内の案を採用。

 で、しまなみ海道を初めて走ってみたのですが、なかなか趣があって良かったです。時間があれば、一つ一つの島に寄ってみたかったですが、そこまでの時間はなかったので、大三島にチラッと寄っただけで、あとは我慢。

 で、無事に倉敷に到着! 私が学生の頃に家族で旅行したことがありますが、それも40年前の話ですからね! 美観地区も大分様変わりしました。

 で、ホテルに入って荷物を解き、すぐに美観地区を散策。既に閉めているお店が多かったですけど、川沿いの道がライトアップされ、古い洋館にプロジェクト・マッピングがなされたり、なかなか趣があります。

 だけど、一つ困ったのは、夕食を食べるところがないこと! 飲み屋とかバーは沢山あるのですが、普通の食事をするところがない! で、さんざウロウロした挙句、ホテルの真ん前にあった喫茶店「カフェ・バラッド」で提供してくれる夕食をいただくことに。本当は人気のハンバーグ定食が食べたかったですけど、売り切れということで、ステーキ・プレートとチキン・プレートをセレクト。まあ、おいしかったです。

 で、一夜明けた旅行最終日、今日は倉敷美観地区を徹底散策。月曜日ゆえ、閉まっている店も多く、とりわけ大原美術館が閉まっていたのが残念でしたが、それは致し方なし。

 前に来た40年前と違うのは、デニムの店が増えたこと。岡山県児島は今や日本のデニム生産のメッカですからね。メイドイン・ジャパンのジーンズなどがあちこちで売っている。

 だけど!

 イマイチ、魅力がないんだよなあ。特にデザイン。変にケバいというのか、余計な意匠を施したものが多く、ジーンズ本来の機能美がない。しかも、生地が良すぎて重い! 重くてデザインがケバいとなれば、我々世代は食指が伸びないじゃないの。しかも、価格は3万くらいするので、若者にも手が出ない。店はにぎわっていますが、買っている人はほとんどいませんでしたね。隣国のお金持ちは知らんけど。

 で、むしろ美観地学で一番良かったのは、アイビースクエア内にある「倉紡記念館」よ。倉敷を紡績のメッカに変えた初代倉紡社長・大原孝四郎、そしてその次男で二代目を継いだ大原孫三郎の偉業を顕彰する記念館ですが、これは充実していて見ごたえがありました。

 でもね、感心するのは、そもそも倉紡を作るというアイディアを出したのは大原孝四郎ではない、というところ。彼は出資者なのね。もともとこの地に住む星雲の志をもった三人の若者が、頭を寄せ合って倉敷の未来を考えた挙句、紡績で町おこしするしかないとの結論に至り、そのアイディアを、地元の資産家であった大原のところに持ち込んだと。で、その若者たちの意気や良しってんで、大原が出資をし、イギリスから技術者を呼び寄せ、機械を輸入したりして倉紡の基礎を作ったんですな。

 で、そうやってこの地に紡績工場が完成し、その稼働が始まった時、その稼働開始の織機の音を聞きながら、オリジナルのアイディアを出した三人の若者の内の一人が病で死ぬの。なんてドラマチック!

 で、倉紡はどんどん業績を伸ばしていくんだけど、初代の意志をついだ孫三郎っていうのがよくできた人で、社員の幸福なくして社の発展なし!とか言って、社員の福利厚生に尽くすの。近代的な社員住居を作り、学校を作り、病院を作って、社員が身心ともに健やかに働ける環境を作ったのよ。素晴らしい経営者。しかも作った病院は、社員のみならず開放して、一般の人の治療にも当たるというね。

 しかも、病人に差別をつけない、とか宣言して、金持ちも貧乏人も等しく最高の治療を行い、病室にも一等とか二等などの区別を設けなかったのだとか。

 さらに大原さんは石井十次を支援して、岡山孤児院も作るの。石井十次の孤児院については、自己啓発思想の歴史の中でも重要なトピックの一つなんだけど、そのバックにいたのが倉紡だったのか! というのが分かって、私としてはユーレカでしたよ。あと、今も法政大学に「大原社会問題研究所」というのがあるけど、あれももともとは倉紡の大原さんが作ったもので、資本家と労働者のあるべき姿を究めんとした志から出たものと知り、感動!

 いやあ、昔の創業者って言うのは、志が高いよね! 大原孝四郎、大原孫三郎、すごいわ!

 あ、そう、もう一つ感心したのは、倉紡の初期のトレードマークが「ニ三マーク」だったこと。

 これは漢字の「二」に、三つの丸を加えたものなんだけど、この「二三」ってどういう意味か分かる?

 トップに立つと、慢心して成長が無くなるから、常に二番手、三番手の意識を持ち、明日は一位になろうと努力すること、その心掛けを忘れるな、というところから来ているんだって。すごくない?

 いやはや、倉紡記念館は見学の甲斐がありました。教授、絶賛!

 で、そろそろ昼飯に、と思ったのだけど、ここで再び「食べる場所がない」という問題に直面。まあ、これだけの観光地にして、特に月曜日には本当に食べるところがないのよ。仕方なく、またもや喫茶店みたいなところがやっているランチで、地元のB級グルメ「えびめし」を食べてごまかしましたが、ちょっとね。

 で、その後は美観地区をグルグル回って、ところどころで買い物をしたり。

 で、大分見尽くしたし、そろそろお暇の時間ということで、我々は倉敷の駅近くにある天満屋デパートで、この地方の名菓「大手饅頭」をゲット! 

 で、そこで旅程をすべて終え、帰路についても良かったのですが・・・ここで帰らないのが釈迦楽流。

 倉敷駅の北側には、もとは倉紡の工場があったのよ。それは倉紡記念館で知っていたのですが、その後地に今はでっかい商業施設が二つ作られている。そのうちの一つが三井アウトレットパークなの。倉敷は駅前にアウトレットがあるのよ。

 行くでしょ。

 ということで、旅の最後はアウトレットでショッピングというね。もう、何やってんだかって感じですけど、実のところ、今日一、盛り上がったという。自分、実は買い物が好きなんだなと。

 で、ユナイテッド・アローズで服を買いまくるという。

 そしてさすがにここでタイム・アウト。我々は帰路につくことに。

 あとはひたすら高速道路を爆走。山陽道から名神、新名神、伊勢湾岸道と走り継いで家に着いたのが夜中近い11時半と。

 かくして四泊五日の学会がらみの四国旅行が終了したのでございます。

 15年ぶりの四国路、特に恩師Y先生との再会もあり、面白かった。夏休み最後にして最高のイベントでございました。





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Last updated  September 30, 2025 06:04:55 PM
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釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽@ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

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