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カテゴリ:教授の読書日記
一昨年亡くなられた脚本家・山田太一さんが書かれたエッセイ集『月日の残像』を読みました。
私は山田太一という人が何となく好き。そういうのってあるじゃない? よく知りもしないのだけど、何となく好き、あるいは何となく嫌い、というのが。俳優なんかでもそういうのがあって、この俳優は何となく好きだから、この人が出ていると見ちゃうけど、この俳優は何となく嫌いだから、この人が出ていると聞くだけで見る気を失うとか。 で、私は山田太一という人が何となく好き。ろくに知りもしないけど。あの、ちょっと鼻にかかって甘えるような、優しくねっとりした喋り方も好き。顔も好き。『男たちの旅路』も『今朝の秋』も好き。寺山修司の友達だったということも好き。 だから、『月日の残像』も好き。読む前から好き。 読む前から好きなんだから、別に感想を書かなくてもいいんだけど、一応書くか。 一応、伝記的なところもあるエッセイ集だけど、別に若い頃のことから順々に書いてあるわけではなく、連載中のその都度その都度、心に掛かっていたことを元に書いているので、話に一貫性はなく、すべてが独立したエピソードになっているんですな。 だけど、当然のことながら、この本のどこを切っても、その切り口に山田太一が出てくる。それも、脚本家としての山田太一が。 じゃあ、脚本家としての山田太一って、何よ。 それはね、「一つの事柄について、あっちからも、こっちからも、昔からも、今からも、自分の目からも、他人の目からも、見る人」。 一つの事柄を、そういう風に多面的に見るとどうなるか? ドラマになるんだよ! ドラマって、そういうことだから。だから、この本は紛れもなく脚本家・山田太一の仕事ということになる。 たとえば、こんな昔話のことが書いてある。 山田さんが高校生くらいの時、友達と映画を観に行った。その上映館では、中学を出て映写技師見習いとしてその映画館で働き始めた元同級生がいた。そこで山田さんと友人は、その共通の同窓生に頼んで「金がないから、こっそり映写室から映画を見せてくれ」と頼むわけ。 すると映写技師見習いの友人は「金がないのか?」と何度も尋ねた挙句、やっぱり見せられない、そういう規則だからと言って山田さんたちの頼みを断る。 仕方なく、山田さんたちは、自腹を切ってその映画を観るんだけど、観ている途中で肩を叩かれる。例の技師見習いの友人で、外へ出ろと。 で、その見習いの友人は、「金がないと言っていたのに、何故映画を観ているんだ、金はあったんじゃないか」と山田さんたちをなじるんですな。で、山田さんたちはそれに対し、お前が入れてくれないから払うしかないじゃないか、規則だなんていって友達甲斐がない、と逆に見習いの友人をなじる。まあ、よくある高校生のケンカです。 すると、そこで見習いの友人が一言吠えたと。まるで犬のように。そしてサッと踵を返して行ってしまった。 その見習いの友人の怒りとも悲哀とも諧謔とも言えない、それらがまぜこぜになって咆哮となった一言に、山田さんたち二人は打ちのめされるわけ。もうそのまま死にたくなったと。 その時、どういう言葉で彼が吠えたのか、それは書いていないのでわかりませんが、ドラマの脚本で言えば、ト書きに、「友人:吠える。だが音声は入れない」みたいな感じなのでしょう。 その見習いの友人が何を吠えたのかは分からないけど、この場面で、色々なことが分かるじゃない。高校へ進学できた山田さんたちと、中卒で就職しなければならなかった見習いの彼の境遇の違い。「金がない」と言われて、規則をやぶろうかどうしようか悩んだ彼の懊悩。でも、規則を破ることの怖さ。しかし実際には金を持っていた山田さんたちの裏切りを知った時の衝撃。一方、そういう見習いの彼の心も知らず、平然とそういうことをしてしまった山田さんたちの後悔。この間まで同窓生だった友人と、まったく人生が変わってしまったことの驚き。 そして今でもこの時のことを思い出すたび、「いまでも私は、映写技師見習いの友人を思い出して、誰がいつどういう人間になるかもわからないという怖さのようなものをかかえている」って言うの。 いいでしょ? ドラマでしょ? この本は、要するに、こういうことよ。 このほか、印象的なエッセイがいくつもあって、寺山修司とその母のことを書いた「寺山修司」とか、ロシアの画家と西ヨーロッパの印象はの違いを書いた「ロシアの話」とか、非常に面白かった。 まあ、読む前から好きな本だったんだけど、読んだ後もやっぱり好きだったのでした。この本、教授のおすすめ!です。 これこれ! ↓ 【中古】 月日の残像/山田太一【著】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 13, 2025 05:11:28 PM
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