常盤新平著『姿子』を読む
常盤新平さんの『姿子(しなこ)』という小説を読みましたので、心覚えをつけておきましょう。 この小説の主人公の姿子は、ごく普通の家庭の娘さんなんですが、それぞれ大学を出て就職して結婚して家庭を持ったお兄ちゃん二人とは異なり、高校卒業後、同級生と家出して二人して、バーテン&ホステスとして水商売の道に進むんですな。ところがこのお相手の隆一とはやがて別れ、隆一の後任のバーテン・秋夫と暮らすようになる。だけど、この秋夫とも結局別れてしまう。その間にも、何人もの男と短期間付き合ったようですけど。 はい、出ました。常盤小説には常連の「永遠の男漁り水商売聖女」。つまり、常盤さんの実人生における最初の奥さんの親友がモデルですな。 姿子は、最初に水商売人生を歩み始めた頃には、いずれ、パートナーと自分の店を出す、という夢を持っているのですが、その夢に向かって猛進するというほどではない。むしろ、飲み逃げした自分の担当の客の借金を背負うので、貯金どころか借金を背負ってしまう。夢は遠のくばかりだけれども、人がいいので、周りの善人(店のマネジャー・菅原、その店の常連・敬子、同じく常連で姿子にアパートを提供している下島、アパートの隣人の久保千代子と中学生の亮一)に助けられるところはある。そうやってどうにかこうにか暮らしているという感じ。 姿子と実家の父母との関係は悪くはなく、時に借金を肩代わりしてもらったりもするけど、両親が望むほど実家に帰ってきたりはしない。そんな姿子のことを、父親は心配しつつ、しかし完全に理解することはあきらめているようなところがある。いかんともしがたい、という感じ。どうしてこうなってしまったのか、何が悪かったのか、茫然と思い悩む程度。 そんな環境の中、姿子の日常が描かれるのですが、姿子はホステスとして働くのみならず、菅原から示唆されると、店の常連の金回りのいい爺さんを相手にちょっとした性的な接触をして小遣いをもらうというようなこともしている。で、そういうので小金を稼いだりしつつ、自分が汚れてしまったような気になると、中学生の亮一とお散歩に出たり、一人で温泉に行ってみたりしながら、精神的なバランスをとる。 で、そんな中、秋夫との関係が悪くなってきて、彼とは別れ話をし、アパートも変えるのですが、どうも秋夫は姿子のことが諦められなかったんですな。 で、結局、姿子は、復縁を迫ってきた秋夫に殺されてしまいましたとさ。おしまい。(何ソレ?) うーん、どうなんだ。 まあ、一言で言って、既視感があるのよ。この小説のヒロインである姿子は、前に読んだ『聖ルカ街、六月の雨』のヒロイン・桂子とよく似ている。桂子も一応、写真家になるという大望はありつつ、そっちに精進する代わりに高級娼婦になってしまうんですけど、姿子も同じで、自分の店を持つといいながら、その夢に驀進する代わりに爺いの性対象になっているという。 で、『聖ルカ街』の場合、そんな桂子のストーリーをどう終わらせるかの見当がつかなかったのか、突然、NYを飛び出て、オーストラリアだかどこかの島に行ってしまいました、ということにしてしまったんですけど、『姿子』では、姿子をあっさり殺すことでストーリーを終わらせてしまったのでしょう。 まあ、要するに、常盤さんの小説に、本当の意味でのストーリーはないのよ。人物がいるだけ。その人物の日常を描くだけだから、物語が終わらない。だから、無理やり終わらせるとすれば、「どこか遠くに行ってしまいました」にするか、「死んでしまいました」にするかのどちらかしかない。 ま、そういうことなんじゃないかと。 手の内が透けて見えちゃうので、常盤さんの小説を連続で読んでいくと、なんかちょっと興ざめになってくるところはありますな。 ということで、うーん、私の個人的判断としては、読む価値無しと言っておきましょうか。