「意識が足りない」という思考停止
「意識が足りなかった」は究極の思考停止ワード。管理者であれば、担当者からこの言葉が出てきた時点で正さねばならない。まして、担当者に「意識が足りない」と言い直させるなど論外で、トカゲの尻尾切りでしかないからまた品を変え人を変えて再発させる。
ひとの意識が疎かになるとき、いい加減になるときには必ずそこに至った「真因」がある。誰だって好きで失敗はしないし、自発的にいい加減なことはしない。
「意識が足りなかった」のが原因だとするならば、「意識に欠けた状態で仕事せざるを得ない状態を作らない仕組みにする」か、「意識が欠けても事故には至らない仕組みにする」か。それが「真の対策」ではなかろうか。「意識が足りない」で片付けるのは、「真の対策」ではないし再発防止にはならない。そもそも対策ですらない。
尼崎の福知山線脱線事故は、そうした「意識偏重」の根性論の横行から発生したことを、決して忘れてはいけない…