537305 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

宇宙の調べ THE COSMIC WAVE

宇宙の調べ THE COSMIC WAVE

唯これだけの違い それが大違い

「遣るか遣らないか」と簡単に言いますが、「遣る」と「遣らない」は大違いです。「遣るつもり」とか「遣ろうと思っていた」と言うのは「遣らない」と変わりありません。

嘗て、武道の修行に際して、2時間腕を上げっぱなしにするのが入門の条件とされたものがあります。上げ方にしっかりした形もありました。

最初出来ないのではと思いました。でも、何十年も手を上げっぱなしで修行しているヨガの行者を思えば、2時間が出来ない筈が無い、そう思ったので、実行に踏み込みました。出来ました。その結果とても爽快な気分を得ることも出来ました。

或る事を誰かが勧めた結果遣ってみようと思った、または自分の気付きによって遣ってみようと思った、動機はどちらでも構わないのです。でも、実際に遣らなければ成果は出ません。その間には0か100の差が生じます。

例えば本を読むとしましょう、文字が読めて、理解力がありさえすれば、本は読めます。中身も分かります。「なるほどなるほど」とうなずくことも出来ます。それなりの感受性を持ち合わせていさえすれば、共感も出来ます。

すばらしい事を聞いた。そこまでは通常たどり着けるものです。そこで、わかったつもりになります。でも身についているわけではありません。

誰かが、「とても好い本だから読んでみたら?」と薦めます、でも、「とても好い」という中身、確かに好いのでしょう、進めるくらいですから、でも、その素晴らしい中身を推奨している人本人が、それを見につけているかと言いますと、多くの場合は、身についていないのです。

身についていないから、間違って伝わっては困る、だから直接本を読んで欲しい、という手順になります。

教えられた人は、その感受性のレベルがまちまちです、伝えたかった人のレベルではないでしょう。同じ感動が伝わるかどうか疑問です。

進めるなら、不特定多数ではなく、この人なら伝わるだろうと言う見極めが必要です。でも、よほど深く付き合わないと、それは分かりません。

伝える人も、ほんの中身のレベルで受け止められているか?それは疑問です、多くの場合そのレベルではないことでしょう。

そのレベルだと言うことは、即座に共感でき、それは自分にかけていた価値だとわかり、即座に取り込むことが出来、直ぐ身につくものです。

だから、同じレベルの人が受けて、同じレベルの人に伝えるのが、最も効率的です。

ところが、そうはいかないので、宗教の教えにしても、開祖のレベルを保つことが出来ないのです。結果、明らかにその宗派が堕落していきます。

釈迦の教えは、分派によって、堕落の可能性が無限に増加していきました。キリストの教えは、分派によって、無限に堕落しました。もハメットの場合も同じです。

宗教の名のもとに、戦争が生じ、最も尊重されるべき命を平気で奪うのです。これが堕落でなくて、何が堕落でしょうか?



書物を紹介したり、勧めたりを避けたいのは、そう言うことです、と言うのが今回の記事の趣意です。本の紹介をしたり、勧めたりという行為を批判しているわけでは有りません。

結果的に批判になっているではないかと、言われたら、それはそうかもしれませんが、責めるつもりも批判するつもりもありません。

更に、本に無限の価値が存在することはわかっていますから、上手く生かせば、無限の功徳も生まれます。

唯、膨大な数の書籍が合って、多くの本を多くの人が読んでいるのに、それが血となり肉と成っては居ないだろうというのが、現実です。

血として肉として取り入れた他人は、絶大な変化を生むものです。

でも、実際には、何の変化も生まれない人生を、相変わらず送っている、それが現実です。それが大方の現実です。



本の紹介と言う形で、話を進めましたが、他人に意見を言う場合も、勿論同じ事です。

意見は簡単にいえますが、深い洞察力を伴った自分自身の見解と成った情報を元に、意見を述べる、これは役立つものです。しかし、中途半端な意見は、相手を乱すだけ、困惑させるだけ、不満を起こさせるだけです。

意見の中身のレベルが、相互に一致して、初めて生きるものです。

意見を述べるのも、生半可では成り立たないもの、難しいものです。


© Rakuten Group, Inc.