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カテゴリ:時評
free100.TV と言うスペースを拝借していたのですが、「経営が成り立たなくなり、迷惑をかけますが、移転のほどよろしく、緊急で申し訳ありません」と連絡がありました。仕方が無いとは言いながら、こういうこともあるだろうとは思っていても、驚きました。
未だ数日間の執行猶予はあるようでしたが、夕方になり、急遽別場所に立ち上げました。アップしていたホームページは、他のホームページと一体連動的存在で、なくなるのは不味いのです。 依頼して直ぐ、開設できましたので、早速移転実施と相成りました。資料を印刷しておこうと、プリンターを立ち上げ、早速指令を伝えました。4枚つづりの印刷が完了したのは好いのですが、文字が不鮮明です。プリンターのクリーニングをかけて、再度印刷実施です。 丁度その時期に、長女フェアリス・三女セリアンヌたちが、回転寿司へ行くんだと待機していました。プリンターには意向を伝えて、出かけました。戻ると、ちゃんと印字されておりました。 回転寿司は、無添くら寿司へ、回ってきたのを次々と取り上げる娘達、ミヒャエルとシルビアは、注文して待ちました。 待てど暮らせど届きません。どうも、眼鏡をかけないで、見間違えたらしく、シルビアが欲しいかんぴょう巻きをミヒャエルは頼んだつもりでしたが、どうも間違って鉄火を頼んだらしいと判明。ミヒャエルの白とり貝も、結局手にしないままとなりました。お知らせブザーの不具合があったと思われます。 このところダイエット作戦中なので、あまり多くは食べておりませんから、直ぐお腹が太ってしまいました。ビッくらポンは2回大当たり、今度連れて行ったときあたりが出なくても、このおまけで、孫達に我慢してくれと言えそうです。 会計は、自分がと言う娘達、お互いに譲りません。シルビアは、ミヒャエルがさっさと払えばよかったものをと叱責します。でも、そうもいかないんですよね、子供達の考えと思惑も無視できないんですから。 結局、色々世話になっているから、ここは絶対に自分がと言う長女フェアリスに、お任せと言う形に帰結しました。ご馳走様! その後、まだ営業中のスーパーもあり、コープも未だあいているけれど、寄らなくてもいいのかと訊きました。寄らなくて好いといった割には、直ぐその直後に、コンビニへ言ってくれと言う二人。 セリアンヌは青汁が飲み辛いので、フルーツジュースを、フェアリスは、昔ながらのジャムパンをと所望するのでした。ミニストップでは希望のものが無くて、セブンイレブンで見つかりました。 戻ると、三女セリアンヌが言うのです、明日葉の錠剤を皆は飲んだのか?と、そう言えば、土曜日に戻った時に、1キロ入りの袋を持ち帰ってくれていたのです。皆が健康になるようにって運んだのに、飲まなきゃ意味内でしょう!と言われました。本当にそうですね。 ただ、自分達は、次女スターニアの免疫力強化をと思っていて、殆どをスターニアに飲ませようと目論んでいたわけです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 大きいのを用足し中考えました。いつものように、家内シルビアに言われるんです、たまたまミヒャエルが力んでいるのを聞いてしまい、いつものようにそうだと言います。脳の血管が破損したりってことが歳とともに増加するんだから、駄目だと言うのです。 言われてみれば確かに、子供の頃から、大きいのは力むもの、それが当たり前になっています。でも、シルビアの言葉を思い出すと、ああこりゃだめだ、と、力みを止めるのです。習慣の改善は難しいもの、でも、健康維持に大変と言う言葉は禁物だとも思いました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 部分的にですが、ブログつながりのある部分では、時代劇つながりもあるって分かり、なんだかうきうき気分です。 今も、背中で「暴れん坊将軍(再)」を聞きながら(人生道も流れているので)、キーボードを叩いているんです。勧善懲悪、結果は明明白白、めでたしめでたしです。 「水戸黄門」にしろ「遠山の金さん」にしろ、そう言う系統で、筋書き的にはなんでもなくて、どんな結末を迎えるかと、わくわくすることも無く、分かっている結果です。 でも、喜ばれる(と勝手に決め付けていますが、喜んでみると言うのが正しいですね)のは何故でしょう? 勧善懲悪が、快いからなんですね。特に、錯綜した今の時代、まあ尤もどの時代も夫々錯綜していて混沌としていますが、望めない結果に期待が動くわけなんですね。 下々を考えない政府の遣り方、小泉改革然り、現政権然り、痛みを我慢しろと言って、ぽっかりあいているのは希望の小窓ではなく、垂れ流した公害物質による、オゾン層の穴だけではないですか。 期待される結末が、時代劇の世界だけで、単なる嗜好に留まることなく、現実の世界に展開して欲しいし、展開すべきなのです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 光市の母子殺人事件も、素人目にも、被告はとんでもないことを遣った人間であり、極刑は免れない筈なのに、多勢のばかげた弁護団の所為で、妙な展開になっているわけで、専門家は素人の目を超える判断力を備えていなければならない、そんな常識が通用しない時代なのでしょうか? 復活の儀式として考え難い行為に及んだ、こんな論理がいくら小説の世界からの引用にしたと言ったところで、まかり通って良いはずは無いのです。遺族を含み、民意は多分極刑を望んでいると、私は思います。弁護団が替わり、その時点から被告の陳述が180度変化したと言われ、矛盾が語られました。 結審となる見込みの今回、広島高裁の裁判長は、主文を後回しとして判決理由の読み上げに入りました。この成り行きからは極刑が予想されると言うのです。 判決は、検察の求刑通り、「死刑」となりました。9年、被害者のご主人や肉親にとって、とんでもなく長い時間だったことでしょう。被害者となったお母さんと娘さん(本村さんの奥さんと娘さん)に、改めてご冥福を祈ります。 死刑判決が出て、未だ真義は生き残っていたという実感を持ちました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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