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カテゴリ:心の世界
これはいいと思える言葉も、すぐに忘れ、残ったとしても、時間とともに忘れていくものです。
知識は覚えられるけれど、忘れ去ることも簡単です。 右の耳から左の耳へと、筒抜けすり抜け状態扱いをした情報は、決して役に立ちません。聞きとどめて、それを実行に移すか、聞き流すか、その結果は天と地の違いとなります。 話をいくら聞いても、本をどれほど読んでも、残ったとしても知識のままでは、ほぼ意味がありません。 そのいい部分を身につけてこそ、花も実もある人生なり!と相成ります。 だから、大切な事柄は、身につけておくことです、身につけておけば、簡単には抜けて行かぬものです。 芸は身を助けるのたとえもあることです、身に付いたものは強いですよ 「ああいいことを言うなあ!」と、そこまで終わるのが人の常、かなりに精神レベルが高まった人でも、そういうものです。 中身の濃い意味もあり人生の宝となる珠玉の言葉を、「なんじゃ下らん!」と見逃すというような事などは、更に頂けません。 「ああ、このいい話は、どこかで聞いたことがある、何時か聞いたことがある」と思いだしても、またそのままとなるものです。 「感謝すること」がこの上なく大切だとは、大方の思いでしょう。でも、身をもってそれを実行に移せるまで繰り返した体に叩き込まない限り、それはわが身のことではなくなるものです。 「生きる上で、自信の醸成が大切だ」と言われれば、なるほどその通りと、大方の思いはそうなることでしょう、でもそれっきりになり勝ちで、聞いたことを忘れ、自分を日常の中に埋もれさせていくものです。 そうだ!と合点が行って、自分がそういう状態に達していなかったら、思った瞬間から努力を始めない限り、聞きっ放しになります。 「このいい言葉、何時か聞いたなあ!」と思いだしたら、その時に身につける努力をすれば、まだ遅くありません。人生は限られた時間の中にあります、無駄時間を消費しているひまはありません、いいことはすぐ身につけるに限ります。 「後で遣ろう!」と後ろ倒しをする癖も、歓迎できません。 それで、ミヒャエルは即やる人間になるべく徹しようとするのです。 手前味噌の傾向ありですが、早速ながら、今日はまた夕刻にCOSTCOへ出向くことにします。 シルビアが、ジュース用食材のセロリがもうないねえ!というので、即仕入れというわけです。 昨日チリで、マグニチュード8.8という巨大地震がありました。情報網もずたずたらしく、被害詳細がまだ分からないようですが、この強大なエネルギーで破壊されて、被害が少ないわけはないでしょう。 この地震で、28日日曜日の今日、13時から14時にかけて、太平洋沿い海岸を中心に、大きな津波が予想されています。 こんな中、12時には切り上げて帰るという沿岸の釣り人、神経を疑いました。まだまだと油断するのではなく、来ると言われたら余裕を持って、直ぐに避難するべきでしょう。 今日は釣りに出ないのが、本当は、賢明というものです。物事、あまり高をくくっていては、後悔先に立たず、付けは大きいのです。 遣るかやらないかが、大きな違いと申しましたが、これまでは、価値的に遣ることが上位である場合です。 遣ったら駄目なこともあるものです。言うまでもないことではありますね。 例えば、違法行為など、公序良俗にかかわる背反行為です。こういうものは、芽生えた段階え目を積む、自らのうちに芽生えた目は自分で積む、それが即行動ということです。 悪の芽は、そのままそれを伸ばした結果の行動は、望ましくありません、即実施ではなく即中止が必要です。 ところが、本能が導く危ない方向が存在します。 「欲望」というものがあるので、それに引っ張られるわけです。それに引っ張られて、何時しか公序良俗の枠を犯すことにもなりかねません。この場合、留まることがとても難しいのです。 自分も嘗て、この闇に脚を取られて、シルビアに多大の迷惑を及ぼしました。子供を抱いて鉄道に飛び込もうとまで思わしめました。 慙愧に堪えないところです。 その反動もあって、精進・修行に精を出す結果となったともいえます。本当のところは、それ以上に、そうしなければならないという切迫感から、その方面へと精神の振動が高まったからなんですけれど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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