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カテゴリ:雑感
「戻り道は迷わぬ」、二度目に遣ることは間違わないと言う意味です。
諺にはこのようにありますが、二度目三度目でなおかつ失敗することがあります。 これは下手をすると怪我?と思いながらナイフを使っていて、見事に手を怪我した経験があります。遠足の前日、運動会の前日などイベントに先駆けて、過去に怪我をした事が一発条件形成[恩師古武 弥正(こたけ やしょう)命名]を生じたようです。 条件形成の結果、同じ反応を繰り返すことになり、又遣り兼ねない!と思うわけですが、その思いが、強化刺激になり一層強固な反射が形成されるのです。 こうなると、「戻り道は迷わぬ」ではなくなってしまいます。 心は奥が深い物、意識では違うそんなことあるもんか、「戻り道は迷わぬ」じゃ!と叫んでみても、駄目なんです。 その呪縛を解かない限り、「戻り道でもまた迷う」のです。呪縛を抜けるのは、容易な作業ではありません。消去過程を着実に実施しなければなりませんが、一般的には至難の技、解く方法も分からないものです。 「条件反射」は気軽に語られ、一般に梅干しやワンチャン絡みの話が出てきます。そして面白おかしく語られておしまいます! そんなもんです世の中は、そして人の受け止め方と言うものは。それはそれで致し方の無いこと、でもそのために、多くのと言うか殆どの人は「条件反射学】からは遠い世界で、それを利用できないまま過ごしていくのです。 ミヒャエルは、古典的条件反射学の学徒でありました。学んだ学部の「核」がそれだったので、寄らば大樹の陰と言うわけでした。でも、セマンティック関係も、教授のお手伝いをしたので、或る程度その世界に踏み入りました。 古武教授の後継者たる人から、「俺の家に住み込んで、俺と同じ道を大学院で目指せ!」と呼びかけてくれました。 ミヒャエルは、それに乗りたいのは山々でしたが、財政的バックアップが弱く、断念して職業人間の道を歩きました。引きの声を掛けてくれた先輩は、英語研究クラブの先輩でもありました。彼は自分と似た傾向の男であると、ミヒャエルを見込んで暮れ、好感を持っていてくれたと感じて居て、とても有難かったのです。 昔日の好いようなそうでもないような話でした。 お昼は、頂き物の、将八うどん(香川県観音寺市)を頂きました。半生の?で、汁もそのまま用いる仕様で、かま揚げとして頂きました。腰があってなかなかでした。海老フライを添えました。 各地での大雪をよそに、東京では連日晴天に恵まれて、寒いながらも外に出たくて、気もそぞろ、でも風があるようでもあり・・・。ところが、鉢植えたちの水遣りをしましたが、余り寒さを感じませんでした。 ちょっくら出かけてみますかねえ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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