|
カテゴリ:雑感
起き上れば、毎日の動きに、何となく流されて、夜には当り前の様に眠って、明ければまた起きあがる・・・こんな連鎖を流れ続けている、それが生。それが何気なく流れる日常。
「生とは何ぞや?何のための生なるや?」という漠然とした問いかけは、個人差があって必ずではないまでも、それなりの数の人々は抱いて居ながら、深く追求する人もあれば、そうしない人もあると言う落差の侭、流れて行きます。 そして、生の終焉段階に至るまで、問いかけに応えを出すことも出来ないまま、漠然として生を終わるのです。 それでいいのかもしれない、でも、そうじゃないかもしれない、悩みは個人差が大きく、はたから見たら大したことでもないという悩みでも、本人は死ぬほど悩みます。 でも、大きな悩みは?と言えば、恐らくは「生」の意味が掴めないと言う悩みではないかと、思えます。 この大きな悩み、あなたは抱いて居ますか? そして回答は出ましたか? 未だですか? 糸口はつかめましたか? 皆目見当もつきませんか? 晴れた空は、そんなことなどわしゃ知らぬ!気に唯あります。飛行機雲が如何にも鮮やかで、上空の凄い冷えた空気を思わせます。 この空の下、今日も色んな、ありとあらゆる人種が、それぞれの立場で、生を動いて居ます。 疑問を抱く抱かない、そんなことにはお構いなく、生は動いて居ます。そしてその中で閉じられる生もあります。 それでいいのかもしれない、でもそれではいけないのかもしれない。ミヒャエルは大いに気になります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[雑感] カテゴリの最新記事
|