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カテゴリ:意識の世界
今日と言う日を一日生きながらえたことは、奇跡です。 先ず、生まれるまでの命の道のりを考えます。 数億個の精子が提供されますが、そのうちの1個だけが、たまたま受精可能な卵子と出会う事が出来るのです。 偶々ですから、数億分の0と言う場合だってありますから、実際には、数億分の1と言う事にはならない、気が多くなるほどの小さな可能性を潜って、無事命が誕生するのです。 それを思えば、脳の病気だとはいえ、鬱などの病では特に、それからノイローゼなど、死を選んで自らの命を絶つことが多いのですが、病であろうとその他の理由であろうと、とんでもない事をして居ると、気付かねばなりません。 折角生まれても短命の人も居ます。事故も病気もあります。何時命を落とすかは本当に分かりません、注意して居ても駄目な時は駄目なのです。 1年395日、それを生まれてこの方繰り返せること自体、奇跡です。 今日一日を無事に生きたってことは、どれほどのことかが分かると言うものです。 明日また一日生きて居たら、これは更なる奇跡、それを何年もの間続けている事は奇跡すぎます。 だからこそ、今を大切にする意義があるのです。 今この瞬間は、もう戻って来ません、だから瞬間を大事にするのです。大事にした瞬間を繋いで繋いで一日を終えます。奇跡の連続がそこに在るのです。 だから、明日ではだめなのです。今遣ることは今遣るのです。 明日やることは明日がもたらします。明日は明日にゆだね、明日になったらまた瞬間瞬間を大切に生きることの積み重ねをするのです。 それが、生き抜くと言う事です。 小言や愚痴を言って居る暇などあるわけがないのです。 泣き言も言ってはいられないのです。 停止したり病んだりして居る暇もないと言う理になります。 以上、今日のミヒャエルの心です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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