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親戚の叔父が、亡くなった・・・・
仕事上は関連がないので、守秘義務も個人情報も関係ないので書きますね。 享年76歳。 詳しく言えば、私の妻の叔父だったのだけど、胃がんで闘病し、脳梗塞を わずらって数ヶ月前からかなり悪かった・・・・ 今週に入って、何回も峠を迎えたが何回も乗り越えてがんばったらしい。 結局、昨日の午前中に息を引き取った。 今日は、午後1時から葬儀となった。 場所は、高梁市。 この叔父、はっきり言って私の妻の叔父だからあんまり濃いつながり ではないのだけど、私が個人的にとても好きだった叔父なのです。 昔は、陶器屋として高梁商店街に店を出してがんばっていたのですが 不景気とか諸々で、店を閉めてその後はテキヤさんのように?いやテキヤかな? アチコチの祭りとか イベントに、お皿とか、置物とか、花瓶とかを持ち込んで 寅さんのごとく、口上を思いっきりやって陶器を売る仕事をしてました。 その姿は、横で見ててもカッコイイし、とてもまね出来るものでは 無かったことを思い出します。 西大寺の裸祭り(会陽)の後祭りでいつも境内の横で大きな場所を取って 売っていたので、毎年2月のその時期になると常連さんが良く買いに来られる 人気店でした。 私たちが、子供を連れて行くと小遣いをくれたり、お皿をくれたりしました。 しかも、毎年お盆のころになると行われる備中高梁まつりでは 備中音頭の太鼓を叩かしたらこの人の右に出るものがいないぐらい有名人でした。 テレビとか新聞に祭りの特集があると、よく載っていて 「あっ!おじさんじゃあ!」って喜んだものでした。 私が、なぜこの叔父さんを好きだったのかというと、テキヤ?の仕事と営業マンの 仕事をしている私が、同類項に思えたのか、 祭りのころに、遊びに行くとやたら酒を勧めてくれて、 「マナビー!!おめー、○○○じゃあねーといけんでー!」とかよくは覚えてないけど とにかく、説教のような、講釈のような?色んな話をしてくれたのです。 そしてとにかく客人を笑わして、楽しませてくれたのです。 私は、そのハイペースに巻き込まれて酒の飲みすぎで何回もダウンしました・・・・ しかし、私がとてもうれしく思ったのは、35年ほども年齢差がある私に とても気を使ってくれて、わざとおかしげ?な話をしてくれて笑わしてくれた のは、奥底に営業とか、接客の基本であるサービス精神があったから・・・・と 私は、見ていたのです。 その繊細な、気遣いとサービス精神は凄かったと今でも思います。 結局、酒の飲みすぎか不摂生かわかりませんが、叔父の最後はあっという間でした。 お棺の中の顔は、勇ましかった数年前の面影は全く無かったです。 なんとなく、その瞬間は寂しく思えて、その後一時間ほどで焼かれてしまった 叔父の指の骨を骨壷に入れたら、なんかメチャクチャ悲しいより、わびしくなって しまいました・・・・・ (この指で、太鼓たたいたり、お皿を持ったり、色んなことやってきたんだなあ・・・って) 葬儀の後の出棺の時、「備中松山おどり」のお囃子の歌がかかってその中を お棺が過ぎて行った時、結婚してからの14年ちょっとのお付き合いでしたが なんか、カッコヨカッタ人生だなってしみじみ思ったのでした・・・・ 長文書いてしまいましたが、なんか書きたかった・・・・ 先週、今週と続けて人の死に出会って、気持ちがかなりややこしく?なった 日々でした。 月並みですが、今できる事に、せいいっぱい集中しようって思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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