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言って心が晴れるなら、ブログで言おう。ちょっと愚痴。
一年に何度か、うちの老人病棟では入院者の家族向けに催しものを企画して、 老人性痴呆の症状や対応の仕方を紹介している。 今週もそれがあるのだが、今回の内容は寸劇。 これまでも1度やっていて好評だったとのことなのだが 2回目の今回もほぼ内容は同じ。 来ていただける家族の方も前回とほぼ同じということで、何を教えたいのだろう?と疑問を感じている。 それはさておき、なぜか今回の寸劇に役者として入ることになってしまった。 計画したのは病棟婦長や介護主任。いわゆる「お偉いさん方」だ。 予想通り、その方々は寸劇には実際は参加せず、企画を立ててあとは下のものにすべてを丸投げし、ところどころで注文だけをつけてくる。 しかしまぁなぜ俺がこの中に入ったのだろう? 看護サイドの企画ものなので、臨床心理室の俺が入るのはちょっと違和感がある。 3交代制で働いている看護師さんたちと、いつも日勤の俺とじゃ仕事する時間、つまり寸劇を練習する時間は合わないってわかるはずなのに・・・。 しかし俺も馬鹿じゃない。病院内の一人職場でこれまで必死に生き延びてきた術がある。時には看護サイドに媚を売るかのように協力してやらないと、看護師が大勢を占める病院という職場ではやっていけない。 だから納得はいかないものの、寸劇に出ることはOKした。 しかし直前になってやはり恐れていた事態が。 俺は看護職ではない。心理職だ。だから心理職の仕事がある。心理検査や面接や、看護学校での講師など、看護にはない仕事がたくさんある。どうしてもそれらを優先していかなきゃ、俺は心理職でなくなってしまう。ただの便利屋ではないのだ。 寸劇の練習が出来ないと「お偉いさん方」は文句を言っている。直接俺には口では言わなくても顔が文句を言いたい顔になっている。 だから無理だって。 仕事内容が違うんだもの。 時間も合わないし。 もし今回のことで看護サイドが俺に文句があっても、それは本末転倒。 俺は当たり前すぎる話だが心理職の仕事が優先。 看護の仕事には誠心誠意協力しているつもりでも、その協力が本職より優先されることは決してない。絶対にない。優先したら俺の臨床心理士としてのアイデンティティがどっかに飛んでいってしまう。 ということで、3日後の本番にはどうなっていることやら。 文句を言われたらきっちりと理論武装して正論を言うつもり。 何も俺は間違っていない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.06.27 20:04:07
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