14時10分発の仙台空港への飛行機が飛び立たない。
どうやら空の上は低気圧の影響で、かなりの荒れ模様とのこと。
フライトを待つ人々で込み合う中
聞き慣れた東北の言葉が行き交う。
空港の椅子に座り、空の上で食べようと思って買ってきた
大東島の鰆寿司を、我慢できずに封を開けた。
まずかった。
まずかったのだが、これが今回の旅で食べる最後のご飯、と思うと
少しさみしい気がした。
思えばたった4日間の旅だったのだが
僕は何か違う世界を生きてきたような気がしていた。
僕がいつも住む世界-東北とは何かが違っていた。
やっと飛び立った飛行機は、夕焼けの美しく照らす雲の海の上を飛んだ。
空の上はいつ見ても、美しいものだ。
どんなに雲の下が嵐でも、雲の上は美しい。
そうか。
僕はこの旅で「光」をたくさん見たのだ。
それは空の光、海の光、草木の光、生命の光、そして太陽の光。
その光はたとえば
嵐の夜の海に現れて、航海士たちを港へと導いたといわれる伝説の火「セントエルモの火」のように
日々迷い、苦しむ僕を導く光のように思えた。
今の僕には光が欲しかったのだ。
僕が見た南の島は光に満ちていた。
もう少し、頑張れるような気がした。
また光が欲しくなったら、行こう。あの島へ。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう