東日本大震災から13日が経過した。
本当にいろいろな「思い」を経験した13日間だった。
携帯電話をはじめ、通信手段がことごとく使えなくなり
他のいろいろな情報を入手することも、
自分の安否を伝える術さえも失われていた。
ここ数日、ようやく少しずついろいろなことが回復し始め
それと同時にいろいろな現実が見え始めてきた。
俺が生まれ育った、宮古市田老がなくなってしまった。
震災後、これまで3度、足を運んだのだが
その光景を見るたびに
何の感情も、何の言葉さえも出てこない。
悲しいし、悔しいし、さみしいのは頭では分かっているのだが
その圧倒的に凄惨な現場に
すべてが沈黙してしまう。
幸いにも自分の家族、実家、そして妻の大船渡の家族、実家は
かろうじて被害からは免れた。
しかし自分の知人が死に、そしていまだに行方が分からない親類もいる。
この前の正月に一緒に酒を飲んで馬鹿騒ぎしたばかりなのに、と思うと
どこかいまだに夢を見ているような気持ちになってしまう。
田老のお寺。
迫りくる瓦礫の壁の前、観音様が無傷で立ち尽くしていた。
観音菩薩はその眼前の光景を見て、何を思うのだろうか。