シンハリ人とタミール人スリランカの人口の約70%は、シンハリ人。次に多いのが、タミール人。 タミール人は、インドから来ているので、スリランカの北部はタミール人が多いようだ。 彼らは、スリランカ北部に独立国家を作りたいそうだ。 爆弾を使ったテロ行為を、行ったりしている。 私の滞在中にも、モルディブ行きの飛行機に、仕掛けられた爆弾で、何組かの日本人の新婚カップルが、犠牲となった。 スリランカ国内で、何カ所も訪ねられないところがある。 テロリストがいて、危険だからだ。 日常生活でも、外出禁止になったこともある。 私は、シンハリ人の家庭にステイしていたし、家族が付き合うのも、シンハリ人たちだ。 周りにも、タミール人が、居たことは居たのだが、あまり付き合いはなかった。 家族が、いい顔をしないのだ。 そう、彼らは、交わらないのだ。 日本は、とりあえず単一国家だ。 同じ国民なのに、違う人種が居て、あまり仲良くないという状況は、当時17歳の日本人の私には、よく分からなかった。 ホストマザーのお姉さんが、コロンボに住んでいて、週に一回遊びに行っていた。 彼女には、3人の子供たちが居た。 長女、次女、長男。 居間には、家族の写真、子供たちの写真、孫の写真などたくさん飾ってあった。 特に、長女の結婚式の写真は、とても豪華で、ハッと目を引く。 しかし、一つだけ、欠けているものがあった。 それは、次女の写真。 結婚して、子供もいるはずなのに、どこにもその写真がない。 実は、シンハリ人である次女は、タミール人の男性と結婚したそうだ。 結婚式の写真は、撮ってはいるのだが、人目にさらされないところに、保管されている。 孫たちの写真も同じ扱い。 同じシンハリ人の、異教徒同士の結婚でも、問題になるのに、シンハリ人とターミール人の結婚なんて、とんでもない!!のだそうだ。 彼らは、親の反対を押し切って、結婚したそうだ。 新婚生活を始めたとたん、何者かに、住んでいるところがめちゃくちゃにされたとのこと、、、 このままでは、未来はないと思い、渡米したと聞いた。 聞いた時は、とても複雑な気持ちになった。 それで、会話にも、あまり次女の話が出てこなかった訳だ。 あれから何十年もたった今、彼女のお母さん(ホストマザーのお姉さん)の気持ちを思うと、切なくなる。 娘のことを、すごく愛しているし、心配もしているけど、対外的には、存在を抹殺しなくてはいけなかった状況。 母として、辛いと思う。 私を、一人だけ、寝室に呼んで、こっそりと、次女とその子供たちの写真を見せてくれた。 みな、笑顔が素敵だった。 アメリカでは、平和な生活を、手に入れることが出来たのだろう。 ホストマザーのお姉さんは、今でも、こっそり、彼らの写真を眺めているのだろうか? 居間に、あの写真が飾られることは、これからもないと思う。 |