早く届いて欲しい!というのが、
みんなの願いであるのは間違いではないけれど、
長い目で見れば、
少しでもたくさんの額が届いた方がいいんじゃないかと思ったりする。
ボランティアとか社会貢献活動とか、
日本は後進国だけど、
これをきっかけに、変わっていかないといけないとも思う。
これだけ街に募金箱があちこちに設置されるのは
とてもいいことだと思うが、
あまりにも、あちこちにあるために、
募金箱を見るたびに募金しようとはじめは思ったが、
生活費が逼迫しそうになり、
考えを改めた。
つかっていなかった通帳の残高をかき集めて、
振込みをした。
それで、募金を終えたと自己満足を得ようと思ったが、
それでも、だんだんと、
不足に思えてきた。
今の、被災地を思うと、
こんなことは言っていられないのかもしれないが、
本当は、世界中にはもともと
その日の飲み水にも困る人たちがあふれている。
よくよく考えてみると、きっと身近にも
家族を抱えているのに、突然何がしかの病気や事故で働けなくなり
病苦と経済苦のダブルパンチに苦しんでいる人だって、
少なくないと思う。
旦那さんをがんで亡くされた奥様が、
「だれも助けてくれなかった」とおっしゃるのを実際に聞いたこともある。
自らの力は小さくて、
これらの人をすべて引き受ける力は到底ないんだけど、
心に留めて生きていくことはできると思う。
義援金は、
一度送ったからそれでいいというものではなくて、
自分が得た利益の一部を
定期的に送るべきものだと考えを改めてみる。
長い時間がかかるかもしれないけれど、
東北が復興したあとも、
今度は、また別の違うところに送り続けるべきなんじゃないのかな。
そうやって生きていけば、
いままでよりも、少し明るい未来になるかもしれないしね。
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Last updated
2011年04月18日 10時57分11秒
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