入院生活その5
ギプスを巻いたその日から、リハビリがはじまった。午前と午後に15~20分程度の松葉杖の練習がメニューである。初めの頃は、足を下におろすだけで、「痛い、痛い」と言って、リハビリを嫌がっていた。日頃の運動不足もあって、ぱた吉は、なかなか松葉杖を上手に使えなかった。我が家は階段で3階。学校の教室も階段で3階。普段の生活では全く考えられなかったが、この変哲もない階段が、高い高い壁のように立ちはだかる。土日はリハビリもお休み。自主連は両日とも、約10m歩いただけで終わった。週があけて、隣のベッドに比較的程度の重い患者さんが入院してこられた。その翌日、なぜか、廊下に置いていたぱた吉専用の車椅子が消え、違う車椅子が置かれていた。もうそろそろ、車椅子は卒業しなければ・・・と、考えていた矢先の出来事で、「これは、隣の人の車椅子だから・・・」と、車椅子に頼りたがるぱた吉を諭した。この日以降、昼間のトイレ、リハビリの行き来も、松葉杖で頑張った。入院して10日目には、「松葉杖が使えるようになったら、いつでも退院してもいい」と言われたので、母としては、あせっていたが、このときには、階段は、まだ一段も登れてなかった。はじめに、階段で失敗して足をついてしまい、その痛みが、忘れられなくて、気持ちが向わなかったのが、大きな原因だったらしい。「頑張って、早く帰ろうよ!!」というと、「どんなに痛いか、いっかい骨折してみれば!!」というぱた吉。これが、入院中の決まり文句だった。そのうち、リハビリの先生の勧めで、病院から学校へ行くことになった。家の階段は人手がなくて無理だけど、学校なら先生が運んでくれるとおっしゃっているし、いやなら、1階の校長室に来てもいいと、学校は言ってくれた。怪我をしてから丸2週間目に、ぱた吉は学校へ行った。午前と午後のリハビリの合間を縫っての、3,4時間目だけだったが、久々に、外の空気に当たってよかったんだと思う。学校に行きたいと言う気持ちから、見る見る松葉杖が上手になり、ほとんど無理だと思っていた階段も、なんとか自力で昇降できるようになった。週末はリハビリもないし、先生からも「もう、卒業だな」と、言ってもらえたので、急遽、木曜日の夜に、金曜日の退院をU先生と相談して決めた。言葉だけで知っていた「リハビリ」。今まで「リハビリ頑張ってね~♪」と、簡単に言っていた私。だけど・・・リハビリって本当に本人にとっては辛い辛いものなのだ。ぱた吉だけじゃなく、他の患者さんの姿を見ていて思った。「リハビリに行く」ということが、どんなに患者さんにとって体、ひいては心の負担になるのか。もちろん、それは自分の体のために行う行為だから、積極的に取り組むのが、自分のためである。だけど、それは極論であり、それに至るまでの心の葛藤を、患者さんは多かれ少なかれ抱え、頑張っているという事を感じた。これが、ぱた吉の入院を通して学んだことのうちの、ひとつだ。